5.先哲に学ぶ

佐藤一斎 重職心得箇条

佐藤一斎
(渡辺崋山筆)

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・字は「大道」、通称は「捨蔵」、号が「一斎」または「愛日楼」・「老吾軒」
・江戸末期の陽明学者。(1772~1859)
・自藩の美濃岩村藩(現岐阜県)の重役たちのために著したもの。
・佐久間象山、山田方谷、渡辺華山など門人と、佐久間象山の門からは吉田松陰が出ている。
・著書に「言志四録」あり。

1.
重職と申すは、家国(かこく)の大事を取計(とりはかる)べき職にして、比(この)(じゅう)の字を取失(とりうしな)ひ、軽々しきはあしく候(そうろう)

大事に油断ありては、其(その)職を得ずと申すべく候。先(ま)づ挙動言語(きょどうげんご)より厚重(こうじゅう)にいたし、威厳(いげん)を養(やしな)うべし。

重職は君(きみ)に代るべき大臣(だいじん)なれば、大臣重(おも)ふして百事(ひゃくじ)(あが)るべく、物を鎮定(ちんてい)する所ありて、人心(じんしん)をしつむべし、斯(かく)の如(ごと)くにして重職の名に叶ふべし。
 
又、小事に区々(くく)たれば、大事に手抜(てぬかり)あるもの、瑣末(さまつ)を省(はぶ)く時は、自然と大事抜目(ぬけめ)あるべからず。
斯の如くして大臣の名に叶ふべし。
 
(およ)そ政事(まつりごと)名を正すより始まる。
今先(ま)ず重職大臣の名を正すを本始(ほんし)となすのみ。
重役とは国家の大事を処理すべき役職であって、その重の一字を失い、軽々しく落ちつきがない振る舞いは悪い。

大事に際し油断があるようでは、この職は務まらない。まず挙動言語から重厚にし、威厳を養わねばならない。

重役は主君に代って仕事をする大臣であるから、大臣が重厚であってはじめて、万事うまくいくし、物事をどっしり定めるところがあって、人心を落ちつかせることができるものである。それでこそ重役という名に叶うのである。

また小事にこせついていては大事に手抜かりがでてくる。小さなとるに足らない物を省けば自然と大事に抜け目がなくなるものである。
このようにして初めて大臣という名に叶うのである。

およそ政事というのは名を正すことから始まる。今まず重役大臣の名を正すことが政事の一番の本であり始めである。

2.
大臣の心得は、先(ま)づ諸有司(しょゆうし)の了簡(りょうけん)を尽さしめて、是を公平に裁決する所、其職なるべし。

もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用るにしかず。
有司を引立て、気乗り能(よ)き様に駆使(くし)する事、要務にて候。

又、些少(さしょう)の過失に目つきて、人を容(い)れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様(これなきよう)になるべし。
功を以(もっ)て過を補はしむる事可也(かなり)

又賢才(けんさい)と云ふ程のものは無くても、其藩だけの相応のものは有るべし。
人々に択(え)り嫌なく、愛憎の私心を去て、用ゆべし。
自分流儀のものを取計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非(あら)ず。
平生嫌ひな人を能く用ると云う事こそ手際なり、此工夫あるべし。
大臣の心得として、まず部下、諸役人の意見を十分発表させて、これを公平に裁決するのがその職分であろう。

もし、自分に部下の考えより良いものがあっても、さして害のない場含には、部下の考えを用いる方が良い。
部下を引き立てて、気持ち良く積極的に仕事に取り組めるようにして働かせるのが重要な職務である。

また小さな過失にこだわり、人を容認して用いることがないならば、使える人は誰一人としていないようになる。
功をもって過ちを補わせることがよい。

またとりたてて偉いという程の者がいないとしても、その藩ごとに、それ相応の者はいるものである。
択り好みをせずに、愛憎などの私心を捨てて、用いるべきである。
自分流儀の者ばかりを取り立てているのは、水に水を差すというようなもので、いい塩梅に調理はできない。
平生嫌いな人を良く用いる事こそが腕前であり、工夫が大切だ。
 
3.
家々に祖先の法あり、取失(とりうしな)ふべからず。
又仕来仕癖(しきたりしぐせ)の習(ならい)あり、是は時に従(したがい)て変易(へんえき)あるべし。
 
兎角目の付け方間違ふて、家法を古式と心得て除け置き、仕来仕癖を家法家格(かかく)などと心得て守株(しゅしゅ)せり。
時世に連れて動すべきを動かさざれば、大勢(たいせい)立ぬものなり。
家々には祖先から引き継いで来た伝統的な基本精神(祖法)があるが、これは決して失ってはならない。
また、仕来り、仕癖という習慣があるが、これは時に従って変えるべきだ。

 とかく目の付け所を間違って、祖先伝来の家法を古くさいと考のえて除けものにし、仕来り、仕癖を家の法則と思って一所懸命守っている場含が多い。
時世に運れて動かすべきものを動かさなけれぱ、時勢に遅れ役立たない。
 
4.
先格古例(せんかくこれい)に二つあり、家法の例格(れいかく)あり、仕癖(しぐせ)の例格あり、先(ま)づ今比事(このこと)を処するに、斯様斯様(かようかよう)あるべしと自案(じあん)を付(つけ)、時宜を考えて然(しか)る後例格を検(ただ)し、今日に引合すべし。
 
仕癖の例格にても、其通(そのとお)りにて能(よ)き事は其通りにし、時宜に叶はざる事は拘泥(こうでい)すべからず。
 
自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今(とうこん)役人の通病(つうへい)なり。
昔からの習わしとか先例というものには二種類あり、一つは家法からくる決まりであり、もう一つは昔から続いてきているしきたりである。
今、ある問題を処理する場含、こうあるべきだという自分の案をまず作成し、時と場合を考えた上で習わしとか先例とかを調べて、これで良いかを判断すればよい。

慣習からくる習わしや先例であっても、その通りで良い事はその通りにすれば良いが、ほどよいころあいに合わなければそれにとらわれてはいけない。

自案というものも持たずに、まず古い習わしとか先例とかから入っていくのは、今の官僚の悪い病気である。

5.
応機(おうき)と云ふ事あり肝要也(なり)

物事何によらず後の機は前に見ゆるもの也。
其機の動き方を察して、是に従ふべし。
物に拘(こだわ)りたる時は、後に及でとんと行き支(つか)へて難渋(なんじゅう)あるものなり。

機に応ずるということがあるが、これは重要なことである。

何事によらず、後からやって来る機というものは事前のきっかけを察知できるものである。
その機の動きを事前に察知してそれに対応するよい。
物に拘わりその機をのがした後では、難渋するものである。

6.
公平を失ふては、善き事も行はれず。
(およ)そ物事の内に入ては、大体の中すみ見へず、姑(しばら)く引除(ひきのけ)て活眼にて惣体(そうたい)の体面(たいめん)を視(み)て中(ちゅう)を取るべし。
公平を失っては善い事すらも行われない。
物事にとらわれてしまうと全体像が見えなくなってしまう。
しばらく問題を脇に除けて、目の届かないところがないようにじっくり観察して、偏りのないよう中をとるがよい。

7.
衆人(しゅうじん)の厭服(えんぷく)する所を心掛べし。
無利押付の事あるべからず。

苛察(かさつ)を威厳(いげん)と認め、又好む所に私するは皆小量の病(へい)なり。
衆人が服従することを厭がるところをよく察すべき。
無理に押付けるようなことがあってはならない。

うるさく立ち入ることを威厳と考えたり、好き放題に自分にとって都合の良いことをするのは、すべて人物の器量が小さいところから生まれる病気である。
8.
重職たるもの、勤向(つとめむき)繁多(はんた)と云ふ口上(こうじょう)は恥べき事なり。

仮令(たとい)世話敷(せわしく)とも世話敷と云はぬが能(よ)きなり、随分手のすき、心に有余あるに非(あらざ)れば、大事に心付(づ)かぬもの也。

重職小事(しょうじ)を自(みずか)らし、諸役(しょやく)に任使(にんし)する事能(あた)はざる故(ゆえ)に、諸役自然(しぜん)ともたれる所ありて、重職多事(たじ)になる勢(せい)あり。
重役たる者、仕事が多い、忙しいという言葉を口に出すことを恥ずべきである。

たとえ忙しくとも忙しいといわない方が良い。随分、手をすかせたりして、心の余裕がなければ、大事な事に気付かず、手抜かりが出るものである。

重役が小さな事まで自分でやり、部下を信じて任せるという事ができないから、部下が自然ともたれかかって釆て、重役のくせに仕事が多くなり忙しくなるのである。

9.
刑賞与奪(けいしょうよだつ)の権(けん)は、人主(じんしゅ)のものにして、大臣是(これ)を預るべきなり、倒(さかさま)に有司(ゆうし)に授(さず)くべからず、斯(かく)の如(ごと)き大事に至ては、厳敷(きびしく)透間(すきま)あるべからず。 人を使う上で、「罪を犯した者は必ず罰する」、「賞すべき功績のある者は必ず賞し」、また「与える」「奪う」これらの権限は主君のもので、大臣はこれを預るものであり、逆さまに部下に持たせてはならない。
このような大きな問題は厳格に扱い、抜かりのないようにしなければならない。

10.
政事(まつりごと)は大小軽重(だいしょうけいちょう)の弁(わきまえ)を失(うしな)ふべからず。
緩急(かんきゅう)先後(せんご)の序(じょ)を誤るべからず。

徐緩(じょかん)にても失し、火急(かきゅう)にても過(あやま)つ也、着眼を高くし、惣体(そうたい)を見廻し、両三年(りょうさんねん)四五年乃至(ないし)十年(じゅうねん)の内何々(なになに)と、意中に成算(せいさん)を立て、手順を逐(おう)て施行すべし。
政事においては、大きなことと小さなこと、大切なことと些細なことを取り違えてはならない。
何を先に行い、何を後に回すかの順序も誤ってはならない。

ゆっくりのんびりか構えていると時機を失することになり、あまり急いでも過ちを招くことになる。
着眼を高くして、全体を見廻し、両三年、四五年ないし十年の内には心の中で成算を立て、手順を踏んで実行すべき。

11.
胸中を豁大寛広(かつだいかんこう)にすべし。
僅少(きんしょう)の事を大造(たいそう)に心得て、狭迫(きょうはく)なる振舞あるべからず。
仮令(たとい)(さい)ありても其用(そのよう)を果さず。

人を容(い)るゝ気象(きしょう)と物を蓄る器量こそ、誠に大臣の体(てい)と云うべし。
心を大きく持って寛大でなければならない。
とるに足りないことを大層らしく考えて、こせこせとゆとりのない振る舞いはしてはならない。。
これでは、たとえ素晴しい能力を持っていても、その能力を発揮させることができない。

人を包容する寛大な心と何でも受けとめることのできる度量の大きさこそが、まさに大臣の大臣たるというものである。

12.
大臣たるもの胸中に定見(ていけん)ありて、見込たる事を貫き通すべき元より也。
(しか)れども又虚懐(きょかい)公平にして人言(じんげん)を採り、沛然(はいぜん)と一時に転化すべき事もあり。
此虚懐転化なきは我意(がい)の幣(へい)を免れがたし。
能々(よくよく)視察あるべし。
大臣たるもの胸中に一つの定まった意見を持ち、一度決心した事を貫き通すべきであるのは当然である。
しかし心に先入観、偏見をもたないで公平に人の意見を受け入れ、さっとすばやく一転変化しなければならない事もある。
この心を虚して意見を聞き一転変化することができない人は、我意が強いので弊害を免れることが出来ない。
よくよく観察・会得しなければならない。

13.
政事(まつりごと)に抑揚(よくよう)の勢(せい)を取る事あり。
有司(ゆうし)上下に釣合を持事(もつこと)あり。能々(よくよく)(わきま)ふべし。
此所手に入て信を以て貫き義を以て裁(さい)する時は、成し難き事はなかるべし。

政事においては、抑制したり、高揚させたり、誉めたり叱ったりを取ることがある。
部下に対しても上下間の釣り合いを考え、常に公平な対応を心がけるべきである。よくよくこれをわきまえねばならない。
このところを充分心得たうえで、信念以って貫き、正義を以って裁いていけば、成し難い事はないものである。

14.
政事と云へば、拵(こしら)へ事、繕(つくろ)ひ事をする様にのみなるなり。
何事も自然の顕(あらわ)れたる儘(まま)にて参(まい)るを実政(じっせい)と云ふべし。
役人の仕組事(しくみごと)皆虚政(きょせい)也。
老臣(ろうしん)など此風(ふう)を始(はじ)むべからず。
大抵(たいてい)常事(じょうじ)は成べき丈(だけ)は簡易にすべし。手数を省く事肝要なり。
政事というと、どうでもいい仕事を作り出したり、慣習にとらわれた中身のない仕事ばかりするようになるものである。
何事も自然に現われたままでいくのを実政というのであって、役人の仕組むような事は皆虚政である。
殊に老臣などは役人の模範であるから、こういう悪風を始めてはならない。
通常起こる大抵の仕事は、できるだけ簡易にすべきである。手数を省くことが肝要である。
 
15.
風儀(ふうぎ)は上より起るもの也。
人を猜疑(さいぎ)し蔭事(いんじ)を発(あば)き、たとへば誰に表向(おもてむき)斯様(かよう)に申せ共(ども)、内心は斯様(かよう)なりなどゝ、掘出す習は甚(はなはだ)あしゝ、上に此風(このふう)あらば、下必(かならず)(その)(ならい)となりて、人心に癖を持つ。
上下とも表裡両般(ひょうりりょうはん)の心ありて治めにくし。
何分此(この)(むつ)かしみを去り、其事(そのこと)の顕(あらわ)れたるまゝに公平の計(はから)ひにし、其風(そのふう)へ挽回(ひきまわ)したきもの也。

風紀・風習というものは上の方から起ってくるものである。
人を疑ってかかり、隠されている事まであばいたり、例えば「あの時は立場上あういう風に言ったけど本心は違うんだ」などと蒸し返すようなことは非常に悪いことである。
上にこのような傾向があれば、下は必ず見習い、人心に悪い癖がつく。
上下ともに心に表裏、本音と建前が出来、治め難くい。
従ってこのような事態を避け、その事の現われたまま正直に公平にやれるように取り戻したいものである。

16.
物事を隠す風儀(ふうぎ)(はなはだ)あしゝ。
機事(きじ)は密なるべけれども、打出して能(よ)き事迄(ことまで)も韜(つつ)み隠す時は却(かえっ)て、衆人に探る心を持たせる様になるもの也。

物事を何でも秘密にしようとする習慣は非常に悪い。
機密に属することは秘密でなければならぬが、明け放しても差し支えのない事までも包み隠しする場含には、かえって人々に探ろうという心を持たせるようになる。

17.
人君の初政(しょせい)は、年に春のある如(ごと)きものなり。
(まず)人心(じんしん)を一新して、発揚(はつよう)歓欣(かんきん)の所(ところ)を持たしむべし。
刑賞(けいしょう)に至(いたり)ても明白なるべし。
財帑(ざいど)窮迫(きゅうはく)の処より、徒(いたずら)に剥落厳沍(はくらくげんご)の令のみにては、始終(しじゅう)(ゆき)(た)ぬ事となるべし。
(この)手心にて取扱あり度(たき)ものなり。

人君が初めて政事をする時というのは、一年に春という季節があるようなものである。
まず人の心を一新して、元気で愉快な心を持たすようにせよ。
賞罰においても明白でなければならない。
財政窮迫しているからといって寒々とした命令ばかりでは結局うまくいかないことになるだろう。ここを心得たうえでやっていきたいものである。

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王陽明 閑是非・閑煩悩を省了す


王陽明(おうようめい)と聾唖(ろうあ)者、揚茂(ようも)の筆談記録


王:
『汝(なんじ)の口は是非を言う能(あた)わず。
汝の耳は是非を聴く能(あた)わず。
汝の心は還(なお)(よ)く是非を知るや否や。』
 
おまえの口は良いか悪いか言うことはできない。
何が善いか悪いかを聞くことができない。
おまえは何が善いか悪いか、善悪がわかるか。
 
茂:
『是非を知る。』
 
善悪はわかる。
 
王:
『此(かく)の如(ごと)くんば、汝の口、人に如(し)かず、汝の耳、人に如かずと雖(いえど)も、汝の心は還(なお)人と一般なり。』
 
それならば、おまえの口は人のように言えない、耳は人のように聞こえないが、心はそれでもなお人と同じではないか。
 
茂:
時に首肯(しゅこう)拱謝(きょうしゃ)す。
 
お辞儀をし、両手の指を胸の前で組み合わせた。
 
王:
『大凡(おおよそ)人はただ是れ此の心なり。
 
(こ)の心、若(も)し能(よ)く天理を存すれば、
是れ箇の聖賢(せいけん)(の)心なり。
 
口言う能(あた)わずと雖(いえど)も、耳聴く能(あた)わずと雖(いえど)も、也(また)是れ箇の不能言不能聴的(の)聖賢なり。
 
心若(も)し天理を存せざれば、是れ箇の禽獣(きんじゅう)(の)心なり。
口能(よ)く言うと雖(いえど)も、耳能(よ)く聴くと雖も、また只是れ箇の能言能聴的(の)禽獣なり。
 
人の人たる所以(ゆえん)は心に在る。
 
お前の心が天理を認識し、それに従う心があれば、これは聖人賢人の心と同じだ。
 
言う事ができない、聞く事が出来ない、ただそれだけの聖賢である。
 

心に天理をもっていなければ、鳥けものの心でしかない。
言う事ができる、聞く事ができるといっても、言い・聞きできる鳥獣の心でしかない。 
 
天理:
「天」は大いなる造化 (万物を創造し、万物を変化育成) をしてゆく。一切万有はその中に在(あ)る。それを「天」といい、自然と人間とを一貫するもの。
 
その中に厳として存在するところの神秘な深遠な理法。それによって存在し、それによって活動している。それが無ければ存在活動が無い所以のものが「理」、ことわり、即ち「天理」。天理によって宇宙も人間も存在している。
 
自然科学はこの「天理」を物の面から追求し、宗教とか道徳は、「天理」を心の面から追求・把握し証明したもの。
  
茂:
時に胸を叩いて天を指す。
 
感動して胸を叩きいて、そのとおりです。
王:
『汝(なんじ)如今(いま)父母に於いては但(た)だ汝の心の孝を尽くし、兄長に於いてはただ汝の心の敬を尽くし、郷党(きょうとう)・鄰里(りんり)・宗族(しゅうぞく)・親戚に於いてはただ汝の心の謙和恭順(けんわきょうじゅん)を尽くし、人の怠慢を見るも、嗔怪(しんかい)を要せず。

人の財利を見るも貪図(どんと)を要せず。
ただ裏面に在って汝が那(そ)の是(ぜ)とするの心を行のうて、汝が非とするの心を行なうなかれ。
 
 
たとえ外面、人、汝を是と説(い)うも、また聴くを須(もち)いず。汝を不是と説(い)うも、また聴くを須(もち)いず。 』
父母には孝行し、目上先輩には敬い、郷里の仲間・隣村・親戚一族には慎み素直に従い、他人の怠慢をみても腹を立て怒ることは必要ない。
 
 
  
 
人の財利を見て俺も欲しい・奪ってでも得ようとするようなことをしない。
表立たぬ内にあっては、自分が良いとする心に基づいて行動し、悪いとする心は行ってはいけない。
 
たとえ上っ面だけの人が、おまえのことをいいと言っても、それはとり合わず聴く必要はないし、おまえのことを、いけないと言っても、良心に響かぬことなら、何も聴く必要はない。
 
郷党: 郷里を同じくする仲間。
鄰里: 隣村。
宗族 本家と分家をあわせた全体。一族。一門
謙和恭順: 慎んだ態度で心から素直に従うこと。
謙: 相手を敬って自分を控えめにする。謙遜(けんそん)する。
和: 争いごとがなく穏やかにまとまる。やわらいださま。
恭順: 謹んで素直に従う。
嗔怪: 何ぜそんなことをする、と腹を立てる・叱る・怒る・怒鳴る。
貪図: 飽きることなくほしがる。よくばる。
  
茂:
時に首肯(しゅこう)拝謝(はいしゃ)す。
 
お辞儀をし、身をかがめて拝(おが)んだ。
 
王:
『汝の口、是非を言う能(あた)わざるは、多少の閑是非(かんぜひ)を省了(しょうりょう)す。』 
 
 
およそ是非を説(い)えば便(すなわ)ち是非を生じ煩悩を生ず。
 
是非を聴けば便(すなわ)ち是非を添え煩悩を添う。
 
 
汝の口、説(い)う能(あた)わず。汝の耳、聴く能わず。多少の閑是非を省了し、多少の閑煩悩を省了す。
 
汝、別人に比すれば、快活自在に到(いた)れること許多(あまた・きょた)なり。』
  
おまえの口が、善い・悪いを言うことができないのは、たいしたことではない、どうでもいいことで、そんなものを省いてしまうことができる。
 
善いの悪いのと言うと、それからして善い悪い問題が起こり煩(わずら)い悩みが生じる。
 
善いの悪いのと聞くと、そこから、善い悪いのということが増え、煩悩がそれに伴って増してくる。
 
おまえの口は言うことはできない、聞くことができない聾唖であるということは、どうでいい無駄な事、無駄な煩悩を省けることになる。
 
おまえは他の人間に比べたら、お前のほうがよっぽどきびきびして自在、愉快だ。
 
閑是非: 無意味なこと。どうでもいいこと。
閑煩悩: どうでもいい煩(わずらわ)しさや悩み。
許多: すぐにはかぞえきれないほど数量が多い。
 
茂:
時に胸を叩き天を指し、地を踏む。
 
感動し、胸をたたき、天を指差し、足で地を踏んだ。
 
王:
『我、如今(いま)(なんじ)に教う。
ただ終日汝の心を行い、口裏に説くを消(もち)いず、ただ終日汝の心を聴いて、耳裏に聴くを消(もち)いざれ。』
 
今、おまえに教えよう。
口で言おう、耳で聴こうなんて考える必要は無い。
心で聴いて心で言えばいい。
 
茂:
頓首(とんしゅ)再拝(さいはい)するのみ。
 
しきりにお辞儀し拝んだ。
 
 

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物事に感動する心は人間にとって一番尊い。
人間の進歩はインスピレーション・何かを感じるところから始まり、ヒント・悟り・偉大な発明発見・・とつながっていく。
感じる心は自分が充実しいなければ出てこない。純真な心、自らに反(かえ)る心、省み・省く心、多少の閑是非を省了し人生の無駄なことを省くところに、感じて行動に移せていける心ある。

無感動な人間はつまらない。

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諸葛亮(孔明)   外甥を戒める書(誡外甥書)

諸葛亮(孔明)  

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(そ)れ志(こころざし)は当(まさ)に高遠を存し、
先賢を慕い、情欲を絶ち、凝滞
(ぎょうたい)を棄つべし。
 
庶幾(しょき)の情をして、掲然(けつぜん)として存する所あり、惻然(そくぜん)として感じる所あり、
 
屈伸(くっしん)を忍び、細砕(さいさい)を去り、諮問(しもん)を広め、嫌吝(けんりん)を除かしむれば、
何ぞ美趣
(びしゅ)を損ぜん。何ぞ済(な)らざるを患えん。
 
(も)し志、強毅(そ)ならず、意、小亢慨(こうふん)ならず、徒(いたずら)に碌々(ろくろく)として俗に滞(とどこお)り、黙々として情に束(たば)ねられなば、長く凡庸(ぼんよう)に竄伏(ざんぷく)して下流を免れざらん。
 
夫志當存高遠。慕先賢、絶情欲、棄凝滞、使庶幾之志、掲然有所存。惻然有所感。
忍屈伸、去細砕、広咨問、除嫌吝、雖有淹留、何損於美趣。何患于不済。
若志不強毅、意不慷慨、徒碌碌滞于俗、黙黙束于情、永竄伏于凡庸、不免于下流矣。
 
外甥: 妻の兄弟姉妹の子、他家に嫁いだ姉妹の子。
 

(そ)れ志(こころざし)は当(まさ)に高遠を存し、
人の理想を追求する精神の動向・目的である志は出来るだけ高く出来るだけ遠く、高遠でなければならない。低くてはいけない。目先ではいけない。
 
先賢を慕い、情欲を絶ち、凝滞(ぎょうたい)を棄(す)つべし。
先賢:
凝滞:
棄つ:
先輩の賢人。
物事が凝り滞って先へ進まないこと。
すてる
賢人・聖人の学問や人物を尊敬し、自らも高めていかなければならない。
物欲・肉欲を出来るだけ整理し捨てて、物事の凝り滞りをなくさ無ければならない。
水は滞ると腐る。血液が滞ると病気が出る。凝り滞ってはいけない。何事も円(まどか)に通じなければならない。
 
庶幾(しょき)の情をして、掲然(けつぜん)として存する所あり、惻然(そくぜん)として感じる所あり、
庶幾:
掲然:
惻然:
こい願う、その状態の実現を希望する。
はっきりと掲げる。
反省・残念に情けなく思う。
ただ願う志だけでは空想になったり現実に力が無い。物事が創造され生み出されていく「気」が伴う志気が無ければならない。情熱が無ければならない。
志気・志情をはっきりと掲げ存在せしめる。何を考えているのか分からないではいけない。
こういう事が俺はなっていない、と自ら反省・不満を感じ、情けなさを持ち良心的情熱的でなければならない。
 
曲伸(くっしん)を忍び、細砕(さいさい)を去り、諮問(しもん)を広め、嫌吝(けんりん)を除かしむれば、
屈伸:
細砕:
諮問:
嫌吝:
ある時は屈し、ある時は伸びる。ここでは屈の意味が強い。
細かく砕く。細は、あまりに細かくわずらわしい。小理屈、小さな感情。
広く立派な人に諮(はか)り、問い、教えを受ける。
嫌はきらう。吝はケチ。あれもこれも気に食わん、金がかかり無駄だと好き嫌いが多くケチ。
理想を持つ者ほど伸びを求めるが、いろいろと障害があり思うように伸びなくても、感情的・激情的になってはいけない。
小理屈、小さな感情、わずらわしい事を抱かずに、小さな事に悲観してはいけない。
自分が偉いと思っても知れている。広く立派な人に諮り、問い、教えを受ける。
好き嫌いが多くケチであってはならない。
 
何ぞ美趣(びしゅ)を損ぜん。何ぞ済(な)らざるを患えん。
美趣:
りっぱな趣(おもむき)。立派な考え、内容。
立派な考え・内容を損なう事はない。
そうすれば必ず成功する。
 
(も)し志、強毅(きょうき)ならず、意、小亢(こうふん)ならず、
強毅:
小亢憤:
意志が強いこと。精神が不屈あること。
毅然として抵抗力を発揮する
もし志が強くなく、意志が乏しいく、
 
(いたずら)に碌々(ろくろく)として俗に滞(とどこお)り、黙々として情に束(たば)ねられなば、
碌々:
俗:
物事の正常でないこと、まともでないこと、満足できる状態でないこと。
世間普通。 平凡で価値の低いもの。
無駄に満足なく、人情に押し流され一般の世の中で平凡な生活に甘んじていれば、
 
長く凡庸(ぼんよう)に竄伏(ざんぷく)して下流を免れざらん。
凡庸:
鼠俗:
すぐれた点もなく平凡なこと。
逃れ隠れる。
ありきたりの平凡な人間にとどまって、下積みのまま終えてしまうだろう。

<立志、師友と知己>

志を立て、理想精神を養い、信じる所に従って生きようとしても、人はなかなか理解してくれないし、下流・凡庸の人々は往々にして反感・軽蔑したりする。

これらの環境下では、人間が出来ていないと自主性・自立性がなくなり、外の力に支配されがちになる。
しかし、学び、自ら修め、自らに反(かえ)り、立つところ養うところがあると、それらを克服していく事ができる。

自らを修めると同時に、その体験をもって同志の理解者となる。そして自らが自らを知っていく。己を知る者はまず己でなければならない。同時に「人の己」を知り、本当の理解者になる事は実に尊い。

「知己」は難しい。我々は師と友を持つ事によって自らを知ってもらう。自らを知ってもらう事によって自ら知る事が出来る。ここに、人の知己の尊さがある。

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読書メモ (哲学・思想)

哲学・思想
索引 著者 番号 タイトル 出版社 文庫・単行本
宇野哲人 1 論語新訳 講談社学術文庫 文庫
2 大学 講談社学術文庫 文庫
神渡良平 1 安岡正篤 人間学 講談社+α文庫 文庫
金谷治 1 孔子 講談社学術文庫 文庫
楠山春樹 1 老子入門 講談社学術文庫 文庫
川上正光 1 佐藤一斎 言志四録(1) 言志録 講談社学術文庫 文庫
2 佐藤一斎 言志四録(2) 言志後録 講談社学術文庫 文庫
3 佐藤一斎 言志四録(3) 言志晩録 講談社学術文庫 文庫
4 佐藤一斎 言志四録(4) 言志耊録
(げんしてつろく)
講談社学術文庫 文庫
寺師睦宗 1 安岡正篤最上の人生設計 知的生きかた文庫 文庫
谷沢水一 1 名言の智恵 人生の智恵 PHP研究所 文庫
新渡戸稲造 1 武士道 訳者:奈良本辰也 知的生きかた文庫 文庫
安岡正篤 1 「人間」としての生き方 PHP文庫 文庫
2 活眼活学 PHP文庫 新書
3 王陽明 PHP文庫 文庫
4 先哲が説く指導者の条件 PHP文庫 文庫
5 十八史略(上) PHP文庫 文庫
6 十八史略(下) PHP文庫 文庫
7 酔古堂剣掃 (すいこどうけんすい) PHP文庫 文庫
8 孟子 PHP文庫 文庫
9 人生と陽明学 PHP文庫 文庫
10 日本の伝統精神 PHP文庫 文庫
11 人生をひらく活学 PHP文庫 文庫
12 論語に学ぶ PHP文庫 文庫
13 人生の五計 PHP文庫 文庫
14 活学としての東洋思想 PHP文庫 文庫
15 運命を創る プレジデント社 単行本
16 運命を開く プレジデント社 単行本
17 洗心講座 致知出版社 単行本
18 人物を修める 致知出版社 単行本
19 立命の書 陰騭録を読む 致知出版社 単行本
20 人物を創る―「大学」「小学」 プレジデント社 単行本
21 易経講座 致知出版社 単行本
22 禅と陽明学〈上〉 プレジデント社 単行本
23 禅と陽明学〈下〉 プレジデント社 単行本
24 人間の生き方 黎明書房 単行本
25 知命と立命 プレジデント社 単行本
26 論語の活学 プレジデント社 単行本

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諸葛亮(孔明) 子を戒める書(誡子書)

諸葛孔明

諸葛八卦村-大公堂



Koumei_2

 
君子の行(こう)は、静以(もっ)て身を修め、倹以て徳を養う。
澹泊(たんぱく)に非ずんば以って志を明らかにするなし。
寧静(ねいせい)に非ずんば以って遠きを到(きわ)むるなし。
(そ)れ学は須(すべから)く静なるべきなり。
才は須く学ぶべきなり。
学に非ずんば以って才を広むるなし。
静に非ずんば以って学を成すなし。
(とうまん)なれば則(すなわ)ち精(せい)を研(みが)く能(あた)わず。
険躁(けんそう)なれば則ち性を理(おさ)むる能わず。
年、時とともに馳(は)せ、意、歳とともに去り、遂に枯落(こらく)を成す。
窮盧(きゅうろ)に悲嘆(ひたん)するも、将復(はたまた)何ぞ及ばんや。


夫君子之行、静以修身、倹以養徳。
非澹泊無以明志、非寧静無以致遠。
夫学須静也、才須学也。
非学無以広才、非志無以成学。
滔慢則不能励精、険躁則不能治性。
年与時馳、意与日去、遂成枯落、多不接世。
悲窮虜守、将復何及。



 
君子の行(こう)は、静以(もっ)て身を修め、
静:
統一・調整・調和。限りない静かな落ち着きと全(まった)き和。
人生は静と動から成り立っている。
常に動いている心臓、隅々まで脈流する血液、呼吸などの動的な生命活動は、全ての身体器官・機能が見事の統一・調整・調和があり、限りない静かな落ち着きと全き和がある。
優れた機械は、機械音を出してはいるが安定した調和音がある。故障している機械は、がさついた音を出す。不調和があると、不安・矛盾・苦痛などに現れてくる。
統一・調和されているものは意識しないが、乱れだすと苦痛になる。「静」が「動」になり「騒」になる。
りっぱな「静」は、りっぱな「動」と一致する。
ガサガサしないで、荒まないように落ち着いて身を整え、修め、向上させる。
 
倹以て徳を養う。
倹:
徳:
無駄遣いしない。
1.天・自然・親から与えられ得たもの。
2.枝葉(知能・技能)に対する根幹(仁・義・礼・智・信・・・)・本質。
「倹」は無駄遣いをしない事。
「徳」とは
1.天・自然・親から与えられ得たもの。
2.人の徳を大きく四分類
1) 根幹-- 徳性---- 人の本質、根本、根幹であるもの。
人を愛す、正しい事を正しいと言う、尽す、裏腹報いる、助ける、忍ぶ、物を綺麗にする、心を集中する・・・
2) 枝葉-- (1)知能 動的な知の働き知能、静的に言う知性は人間らしい要素。
  (2)技能 技能によって道具・機械・器具を使いこなし人らしい内容を持ってきた。
3) 習慣-- -------- 第二の天性といわれ、躾ともいわれる。
悪習慣はしない、徳を損なうことをしないのは倹で倹徳。
徳を損なう事は慎み倹約するのがいい。多弁で喋る必要も無いのにベラベラ喋る、口が軽いのは徳を損なう。つまらない事を喋らないで徳を養うことが大事。
 
澹泊に非ずんば以って志を明らかにするなし。
澹泊:
志:
(物欲的に)淡白。
理想を追求する精神の動向。
精神的よりも物質的・肉体的意味が強い。物欲というようなものにあっさりしていないと、理想を追求する精神の動向・志が発揮・明らかに出来ない。物欲をあっさりする事で精神性を発揮する。
 
寧静に非ずんば以って遠きを到むるなし。
寧静:
安らかで落ち着いている。
遠きを到めようと思えば、平生に体を落ち着け心身に違和の無い様に、狂いの無い体を作っておかなければならない。
静かな息を出来るだけ保たないと、遠くへはいけない。人生全て同じ。
 
(そ)れ学は須(すべから)く静なるべきなり。
学:
学問
学問をしようと思えば、落ち着いて静かでなければならない。
がさつでは学問は出来ない。
 
才は須く学ぶべきなり。
知識・技術と言われる才能は学習しなければならない。自然に習熟するものではない。
 
学に非ずんば以って才を広むるなし。
学習しなければ知識・技術は広められない。
 
静に非ずんば以って学を成すなし。
落ち着いて静かで、心身が調和していなければ学は成せない。
 
(とうまん)なれば則(すなわ)ち精(せい)を研(みが)く能(あた)わず。
慢:
精:
だらしない、怠けている。
物事の最も本質的な優れた働き。粋。
だらしなく怠けていると、物事の最も基本的なすぐれた働きをみがき働かす事は出来ない。
 
険躁(けんそう)なれば則ち性を理(おさ)むる能わず。
険躁:
性:
理:
騒がしい、がさつ、心がけが悪い。
外面に対する内面。付属に対する本質。
おさめる。
騒がしい、がさつ、心がけが悪ければ、物事の本質をおさめることが出来ない。
 
年、時とともに馳(は)せ、意、歳とともに去り、遂に枯落(こらく)を成す。
枯落: かれ落ちる。
いつのまにか年は経ち、せっかくの意志・理想も抜けて行ってしまう。遂には枯れ落ちる。
 
窮盧(きゅうろ)に悲嘆(ひたん)するも、将復(はたまた)何ぞ及ばんや。
窮盧:
悲嘆:
貧乏暮らし。
身の不幸を悲しむ。
貧乏暮らしの中に悲嘆するも、今さら嘆いてみたところで何になるか。

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運命を創る1

1. 思考の三原則
1) 目先にとらわれないで、出来るだけ長い目で観察する。
2) 一面にとらわれないで、出来るだけ多面的、出来だけ全面的に考察する。
3) 枝葉末節にとらわれないで、出来るだけ根本的に観察する。

2. 『六然(りくぜん)』 (崔鉄(さいせん))
自処超然(じしょちょうぜん) (自ら処すること超然)
 自分自信に関してはいっこう物にとらわれないようにする。
処人藹然(しょじんあいぜん) (人に処すること藹然)
 人に接する時は、心から慈しみ楽しんでもらう。人に接して相手を楽しませ心地良くさせる。
有事斬然(ゆうじざんぜん) (有事には斬然)
 事が起こった時は、迷うことなく早急に活発に対処する。
無事澄然(ぶじちょうぜん) (無事には澄然)
 何も問題のないときは、心清らかに静かな心でいる。
得意澹然(とくいたんぜん) (得意には澹然)
 どんなに得意満面の事柄があっても、淡々とあっさりしている。
失意泰然(しついたいぜん) (失意には泰然)
 どんなに失意になる事柄があっても、平常心を失わない。

3. 『六中観』 (安岡正篤)
忙中閑あり
 ただの閑は退屈で、精神が散じる。忙中に掴んだ閑こそ本当の閑。
苦中楽あり
 苦中の楽こそ本当の楽。楽ばかりでは人を頽廃、柔弱・不健全にさせる。
 茶人は苦味の中に甘味のカテキンがあることを知っている。
死中活あり
 せっぱ詰まった瀕死の中に活がある。
壷中天あり
 どんな境地にあっても、現実世界に自分だけの内面世界・別天地を持つ。
意中人あり
 心の中に人がある。上に立った時などに、ちゃんと持ち合わせ、手に駒を持っている。
腹中書あり
 哲学・信念・万巻の書を持っている。腹が空っぽではいけない。

4. 「知識」・「見識」・「胆識」
知識
  いろいろな経験から知識が出来る。単なる知識ならば大脳の末梢的なもの。
見識
  事に当たって、これが本当である、こうあるべきだ、こうなすべきだ、と活きた決断が立つもの。
全人格的な人間そのものを打ち出すことにならなければならない。
知識はあるが人としての修養が無く、人間が出来てないものは「雑識」。
胆識
  実際問題にぶつかって、いろいろな矛盾や抵抗を乗り越え、きびきびした実行力を伴うもの。
士気旺盛で節操があり、そこから出てくるもので薄っぺらな知識ではない。
しっかりとした見識で、活きた行動、活きた責任、活きた人生観、活きた政治観、活きた判断、活きた事業観をもって、人生百般の問題に活眼を開いて応用が効く。

5. 主体性回復の十八箇条
1) 毎日の飲食を適正に行っているか。過度や不合理てはないか。
2) 毎晩よく眠れるか。睡眠には熟眠と安眠がある。精神状態が平和て健康でなければ安眠できない。
3) 自分の心身に悪影響を与えるような、悪い習慣はないか。
4) 自分自身に適当な運動をしているか。
5) 生活上の出来事に一喜一憂することはないか。特に非常に悲観・落胆したり感情を乱すことはないか。
6) 外物に動かされ、環境に支配されね特に悲観したり、興奮しやすくないか。
7) 精神的動揺が有っても、感情上の動揺があっても仕事は平常の通り続けられるか。
8) ちょっとした失敗で、すぐ仕事が嫌になったりすることはないか。仕事が妨げられることはないか。
9) 毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか。精神が散乱すると、ものに打ち込めない。ものに打ち込みものと一つになると智慧、直観力が出てくる。
10) 仕事にどれだけ仕事に有能であるか、どれだけ自分の仕事に役立っているかを絶えず実験・検証しているか。容易に断定できないが大いに吟味する必要がある。
11) 現在の仕事は自分の生涯に仕事とするのに足りるか、を研究する。生涯の仕事にするように心構えと努力の如何によっては、どんな小さな仕事と思われても生涯の仕事とするに足りる。
12) 自分の仕事がどうしても合わない、生活が退屈であるとすれば、どうすれば満足を何によって得るか、いかにすれば心を満足させる仕事になるかを考える。
13) 日常絶えず追求すべき明確な目標を持ち続けているか。思索や反省と同時に、今日、明日何をしなければならないかの問題をもっているか。
14) 人に親切であるか、誠実であるか、ちゃらんぽらんで人とつきあっていないか。
15) 自分に対してやましいことは無いか。
16) 自分の人格の向上に資するような教養、人間を創る事に努めているか。
17) 将来のために知識・技術を修めているか。エキスパートになる努力をしているか。あの人でなければならん、という何か一つを持つ。
18) 信仰、信念、哲学というものを持っているか。持とうとしているか。自分から地位とか身分とか報酬とかを差し引いた時に、親子や妻子だのを差し引いた時に、一切を剥奪された時に、永遠なるものが何かあるか。

6. 「四耐」
1) 冷やかなることに耐える。
2) 苦しいことに耐える。
3) 煩わしいことに耐える
4) 閑に耐える。

7. 人に嫌われないための五箇条
1) 初対面に無心で接する。
2) 批評癖を直し、悪口屋にならない。
3) 努めて、人の美点・良所を見る。
4) 世の中に隠れて案外善いことが行われているのに、日常注意する。
5) 好悪を問わず、人に誠を尽くす。

8. 『呂氏春秋』 「八観法」・・・人物観察法
1) 通ずれば、その礼するところを観る。
 少し自己がうまくいきだした時に、どういうものを尊重するか。金か位か、知識か、技術か、何かを観る。
2) 貴ければ、その挙ぐるところを観る。
 地位が上がるにつれて、その登用する人間を見て、その人物が解かる。
3) 富めば、その養うところを観る。
 金ができると養いだすか、何を買うか、集めるか、使うか。
4) 聴けば、その行うところを観る。
 聴けば、いかに知行が合一するか、矛盾しているかを観る。実行の確かさを観る。
5) 止まれば、その好むところを観る。
 板についてくると、その嗜好、好こところを観る。
6) 習えば、その言うところを観る。
 習熟すれば、その人の言うところを観る。話を聞けば、その人の人物・心境が分かる。
7) 貧すれば、その受けざるところを観る。
 貧乏すれば何でも欲しがるような人間は駄目。
8) 窮すれば、そのなさざるところを観る。
 人間は窮すれば何でもやる、恥も外聞もかまっていられないでは駄目。

9. 『呂氏春秋』 「六験法」・・・感情を刺激して人を観察する方法。(自分に応用し、自己陶冶に活かす)
1) 之を喜ばしめて、以ってその守を験す。
  喜びは本能的な快感である。人は嬉しくなると羽目を外すが、外してはならない枠(守)がある。いい気になって軽々しくこの枠を外すと乱れてしまう。
2) 之を楽しませて、以ってその僻を験す。
  喜びの本能に理性が伴うと楽という。人は公正を失って偏ると物事がうまくいかない。僻する人間はいろいろのことに障害が多い。
3) 之を怒らしめて、その節を験す。
  感情の爆発である怒りは破壊力を持つが、それをぐっとこらえる節制力を持っている人物は頼もしい。
4) 之を懼れしめて、以ってその独を験す。
  心配事ある時や窮地に陥った時など、絶対性・主体性・独立性を観る。
5) 之を苦しましめて、以ってその志を験す。
  苦しくなると理想を捨ててすぐに妥協するような人間は当てにならない。
6) 之を哀しましめて、以ってその人を験す。
  悲哀はその人柄全体をよく現す。その時の人を観る。

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知命・立命・運命とは

1. 「命(めい)」とは
1) 「命」は普通「いのち」と言っているが、「いのち」は「命(めい)」の一部にすぎない。

2) 宇宙・大自然・天の無限の創造・変化・化育は、人間のどうにもならない「絶対の働き」であり、人間の恣意(しい)、その時々の思いつき、ほしいままな気持ち、無自覚な本能や衝動ではなくて、絶対的、必然的なものである。東洋哲学で「命」という。
数学的には「必然にして十分」という意味を持つ。
大いなる宇宙・天の作用は「天命」である。

3) 「命令」とは違反することを許されない権威を持った指図ということになる。

我々の「生命」というものは、なぜ生の字に命という字を付けるか。それは我々の生きるということは、これは好むと好まざると、欲すると欲せざるとにかかわらない必然で絶対なものである。「おれはどうして生まれたのか」というのはナンセンスで、個人の妄想にすぎない。絶対性、必然性、至上性、それを表すに命というものをもって生命という。

4) 我々の肉体は「天命」の一部であり、生命である。われわれの人生そのものが一つの「命」である。我々には心・意識・精神があるから、生命に立心偏を付け「性命」という言葉になる。

5) 行き当たりばったりの本能的・衝動的な生活をしないで、巌たる道徳の法則を自覚し体得し生活するような人は「命の人」である。日本の古代思想で命(みこと)という。人格的存在者という意味で「命」の字を当てはめた。そういう人は尊いから、日本武尊(やまとたけるのみこと)というように「尊」の字を当てて、「みこと」と読む。

6) 「命名」という以上は、そこに絶対的な意味を持ち、この子にはこの名が一番いい、この名以外にない、この名の通りになって欲しい、という確信をもってつける名前で、この子の生涯に哲学を与えるものでありたい。

2. 「立命」とは
1) 自然科学はこの天という「命」である必然的絶対なるものを、物の立場から研究・究尽していったものである。そしていろいろな科学的法則・定理というものを把握した。これは「命を立つ」である。

2) 哲学は哲学、宗教は宗教でそれぞれの立場から天命を追求して、これが天命であるというものを明らかにし、立てていく、これが「立命」である。
人間は探求すれば、だんだん必然的・絶対的なものに到達できる。「人命」を究明でき、「命を知り」、「命を立てる」ことが出来る。

3. 「命数」とは
1) 宇宙・大自然・天の無限の創造・変化、人の生命、である「命」の中にある複雑きわまりない因果の関係を、中国学問で「命数・数(すう)」という。これはすべての実在の中に存在する複雑微妙極まりない因果の関係をいう。
数(かず)は、数(すう)の一つにすぎない。

2) 普通の常識的な因果的考え方では判断できないような関係に翻弄され、悪い意味・悲劇的な場合におてい使われるのが「数奇」。
立派な貴族の家に生まれ幸福な結婚をして好生涯を送るかと思われた娘が、お抱え運転手と恋仲になり駈落ちして、淪落ししまいには自殺する・・・こういうことを「数奇な運命」と表現する。

4. 「運命」・「宿命」とは
1) 我々の存在、人生は宇宙・大自然・天の無限の創造・変化による「命」である。その「命」は宇宙の本質の限りなき創造変化で、動いてやまないものであり、「運命」である。

2) 「運」というのは「動く」という字であるであり、ダイナミックを意味する。「命」を知って、我々の存在、人生を理解しそれを自ら運んでいくものが「運命」。

3) 「運命」を学問的に理解しないで通俗的(占い的)に誤解し、決まりきった人生の予定コースと理解したり、何年には病気やら幸福に出会ったり転任になったりと、このようなものは運命でなく「宿命」である。

4) 「宿」はヤドであり、泊まるで、固定的で機械的な意味を持つ。「宿命」とは大自然・天の命を理解せず、我々の存在、人生を理解せず運んでいくことをしないで、固定的に生きていくこと。

5. 「知名」・「立命」とは
1) 「命」を理解し、複雑な数(すう)を知ることは「知命」。

2) 命というものは天の絶対的なもの働きであるけれど、その中に複雑きわまりない因果関係がある。その因果の法則を探りその因果の関係を動かして新しい運命を創造変化させていくことが「道」であり、「立命」である。

3) 孟子』 「尽心(じんしん)
その心を尽(つ)くす者はその性を知る。その性を知れば則(すなわ)ち天を知る。
その心を存し、その性を養うは、天に事(つか)うる所以なり。
妖寿(ようじゅ)(たが)わず、身を修めて以って之を俟(ま)つは、命(めい)を立つ所以なり。

性・・・心の本体、本質的なもの   天・・・大自然、宇宙    妖寿・・・妖は短命、寿は長寿   貮わず・・・違わない
我々の心というものを通じて、その心の実体、本質というものを究明すれば、自然、宇宙その最も主体的なるもの、天が分かる。宇宙の本体、大自然の真理、宇宙万物を支配する大いなる理法を知ることができる。
我々の心をなくさないように心掛け、その個性・本質を大切に培養すれば、それが天の創造化育・造化の精神に随順する道である。
肉体が早死にするか長生きするかは問題ではない。生ける限りひたすら身を修め、造化の原理に順応していくことが、造化という絶対者の命という働きに帰一する道である。


4) 論語』 「不知命」
命(めい)を知らざれば以って君子たること無きなり。

礼を知らざれば以って立つこと無きなり。

言を知らざれば以って人を知ること無きなり。


君子・・・指導者、見識人、人格者
自分というものがどういうものであるか、自分の中にどういう素質があり、能力があり、これを開拓すればどういう自分を作ることができるかというのが「命を知る」、「命を立つ」ということであり、これが分からなければ君子、人格者ではない。

存在するすべての物は何らかの内容を持ち構成されている。その全体と部分、部分と部分との円滑な調和と秩序を「礼」という。
「自分」という言葉は「礼」を見事に表している。「自」は独自。自ら用い、自ら得るという自由。全体を作っている自己は独自であると同時に、全体の一部である「分」である。自由であると共に分という分際である。我々は独自の存在であると同時に、他己に対する関係が有り、全体に対する関係がある。渾然(こんぜん)として一つにしたものを「自分」という。
全体と部分、部分と部分との円滑な調和と秩序が分からなければ、命を立つことはできない。

「言」は思想言論、イデオロギー、主義主張。これが分からなければ、人間というものは分からない。
孟子は「我よく言を知る」、思想問題と言うものを自分はよく認識している、と言っている。
・詖辞(ひじ)・・・偏った議論。
右か左か、白か黒か、の浅薄な考えでいけない。人間はいつでも正しい自主的・総合的見地からものを考えなければならない。流行している他愛も無い既成の考え方・イデオロギーに捉えられてはいけない。偏った議論はいけない。
・淫辞(いんじ)・・・でたらめの議論。
何でも自分の思うところ・欲を通そうとする。人のいう事にケチを付け、理屈をこじ付け、自分の目的を通そうとする。屁理屈を付け無理押しをする。これはどこかで必ず破綻する。
・邪辞(じゃじ)・・・胸に一物を持って邪(よこしま)な理屈。
真理を離れ、真実を離れている邪な理屈。道理にはずれていて自分勝手な理屈。
・遁辞(とんじ)・・・責任回避の逃げ口上。遁辞はどこかで必ず行き詰る。

6. 「(自然)科学」・「哲学」とは

1) 物質の命というものが、いかなる本質や能力をもっていて、それはどういう関係や法則・定理で成り立っているか、それを知ってその物を変化させていくかが「自然科学」。

2) 我々人間がどういう素質・才能を持っていて、それがどういう関係で、どうなっていくかという法則を探って、これを操作して、我々が我々の人格・生活・社会を創造していくものが「哲学」

7. 『陰隲録(いんしつろく)』  「袁了凡(えんりょうぼん)の教え」

袁了凡は幼い時に早く父と別れ、母の手一つで育てられた。
袁少年は高等官の試験を受け官職に就きたかったが、家貧しく勉強の余裕がない。早く一人前になり、母を養わなければならなく、母の言いつけで一番手っ取り早い医者の勉強をしていた。

ある時、孔という人格・風貌共に子供心に立派に映る老人に会った。
この孔老人は「お前は何の勉強をしているのか」という。
袁は「私は、こういう理由で医者の勉強をしている」と答えると、
孔老人「それは惜しい。お前は官職に就いて立派な成功する人相を持っている。その運命の持ち主である。何歳のときに予備試験に何番で合格し、二次試験では何番で合格する。そうして官職となり、何年何月に死ぬ。子はいない」と予言した。

・・・人間はあらゆる未知の世界の中で一番魅力のあるものが何かと言えば自己である。自分を知ることが一番魅力的である。だから易者・予言者などが自分のことに触れると動かされる。やがて少し偉くなり複雑な問題にでもぶつかると、どこかにそういう明るい人がいると、行って聞きたくなるくらい自信のないものである。自分というものが一番知りたい。が、なかなか分からないものものだ・・・

袁はすっかり感激し孔老人を家に連れ帰り大事にもてなし、それから思い立ち大勉強し試験に応じた。
ところが不思議にも孔老人の言った通りの年月に、言った通りの成績で合格した。ますます面白くなり二次試験を受けたら、また言った通りになった。以来何事もすべて孔老人の言ったことが的中して間違いがない。袁は社会的に成功したが不幸にも子供がいない。

袁は思った、人間の運命というものは、ちゃんと決まっておりどうになるものでもない。我々は出世しようとか、金儲けしようとか、いろいろ虫のいいことを考えてじたばたしても、これくらい馬鹿げたことはない、と。
子供もいないし、何年何月に死ぬという寿命も決まっているし、この決まりきった短い人生を何を好んでつまらない事をあくせくするのか、と徹底的に感じ入ってしまった。他人と競争して出世しようとか、金儲けしようとかの気持ちが青年にしてすっかり無くなってしまった。

ある時、仕事で滞在していた寺の雲谷禅師が「あなたを密かに観察していると、年に似合わずできておられる。どういう修行をしてそれまでの風格になられたのか、参考のため承りたい」と言った。

・・・人間は本能的な情欲、煩悩などがなくなるほど、あるいは一段高いものに入れ変わられるほど、人間が高次の存在になるから、俗人では分からない一つの神秘的なものが生まれてくる。袁は、一つのあきらめに到達して、情欲・煩悩が抜けていたため、青年にして清く落ち着いたゆったりした風格になっていた。雲谷は異様に思っていた・・・

袁はありのままに「私は妙な体験を持っています。少年のとき医者の勉強をしていたが、ある時老人が見てくれて、お前は官職に付け、必ず何年何月に何番で合格し云々と言ってくれたので、面白くなり勉強し試験を受けるとその通りになった。それ以来老人の予言が外れたことはない。それでつくづく人生というものは、あらかじめ決まっているもので、知らず知らずの間に決まっていて、我々が盲動したところで何にもならないと諦め、悠々と自然に任せているのである」と語った。

雲谷は急に態度を一変して「なんだ、そんなことか。それじゃお前はまことにつまらない人間だ。大いに見損なった。
お前の諦め・悟りというものは一面的で低級幼稚だ。なるほど人間には運命というものがある。しかしその運命というものがいかなるものであるかは、一生かかって探求しても分かるか分からないか、分からぬものだ。
人間の運命がちゃんと初めから定まっているなら、何で釈迦や孔子など聖賢が苦労したのか。偉大な人が学問修養したのは、学問修養することによって人間を創ることが出来るからだ。人間が出来れば環境も創られる。
我々は運命と言うものを持っているが、人間は学問によって限りなく命を知り(知命)、修行によって限りなく創造・立てること(立命)が出来る。運命は天のなすものであるが、自ら創っていくものである。
だから人間以外の動物に出来ないことを人間がやることが出来る。
お前の運命、すなわち素質・能力・作用というものはそんなに簡単なものなのか。それではつまらない人間であると思わないのか」と言った。

袁は初めて愕然と目が覚めた。

さらに雲谷は「絶えざる思索、物事の根本的意味や関連などを純粋に突きつめて考え実践し、日々に新しい創造的生活をする身となって学問修養をしなさい。そうすれば、君はどうなって行くか分からない。人生がどう変化して行くか分からない。これを立命という。
今まで他律的な運命に支配され、宿命に支配されていたが、今より自由になって自己および人生を創造しなさい。そうしないと運命なんか分かるものではない」と言った。

こう言われて袁は発憤し、勉強し始め新たな生涯に入った。
ところが不思議なことに、それまで外れた事の無い孔老人の予言がことごとく全部外れだした。そして子供も出来、死ぬと言われた年にが過ぎても健康である。

そこで袁は、人間と言うものは安易な運命観に陥ってはいけない。どこまでも探求し理想を追って実践に励まなければならない。そのためにはこういう哲学を持っていこうという修行をしろと、子供に書く残した。これが『陰隲録(いんしつろく)』。

袁は雲谷禅師によって始めて、世の人(凡)の心を悟った(了)とし、了凡と号(本名・別名のほかにつける風流な名)を変えた。

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人生の五計

人間には五つの計(はかりごと)があるとし、 中国宋末時代、朱新仲(しゅしんちゅう)(1097-1167)が教訓としてまとめ伝えられた。

朱新仲は、悪政の宰相に睨まれ憎まれたが、迎合しないから辺地に流された。しかし19年間流謫生活では悠々と自然を愛しその地の人々に深く慕われた人。

 
1. 「生計」 ・・・ 人間の本質的な生き方に迫り、人生を健康に、いかに生きていくべきか。
2. 「身計」 ・・・ いかにわが身を人間として社会に対処していくか、何をもって世に立つか、いかなる職業・価値観をもって生きていくか。
3. 「家計」 ・・・ いかに家庭を営み、夫婦関係・親子関係はどうあるべきか、一家をどう維持していくか。
4. 「老計」 ・・・ いかに年をとるか。「老」たるものの価値をいかに活かしていくか。
5. 「死計」 ・・・ いかに死すべきか。


「生計」 ・・・ 人間の本質的な生き方に迫り、人生を健康に、いかに生きていくべきか。
1. 「生計」は経済的な暮らしでもあるが、これは枝葉末節の問題。起臥・飲食他日常の生活、思想、行動に作用する働きかけ・心掛け(日用心法)が大切。

2. 人間にとって一番大切なものは「生」である。この「生」の探求は、人間の「生の理法」が、自然つまり「天の理法」に合致しているものでなくてはならない。
真理に基づかない理論や理屈では駄目で、自然・天と人間を一体としてする「天人合一」・「天人相関」として「生」を探求する事が大切。

3. 人間には精神的・感情的にも納得できる理論、すなわち「情理」を持っている。この「情理」は最も大切で、人・天を通じる。
人と自然とを創造の理に合致してくると「真理」になり、実践性を持つに至って「道理」となる。
「情理」「真理」「道理」に基づいて「生」を探求する事が大切。

4. 「熟睡・深睡」と、心に悩み・邪念がなく精神的・心理的な安らかさのある「安眠」が大切。また、早起きが大切。
曾国藩(そうこくはん)(1811~1872)は「黎明即起(れいめいそっき)し、醒後(せいご) 霑恋(てんれん)する勿(なか)れ」・・・「夜が明けたらすぐ起きる。目が覚めたら、うとうと・ぐずぐずせずしてはいけない」と言っている。目が覚めてもぐずぐずするのは、意識が朦朧(もうろう)として、精神が敏活でない。心身の健康な子供は目を覚ますと跳ね起きる。生命が健康で純真。

5. 論語』 「朝聞夕死(ちょうもんせきし)」・・・「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」

晋書(しんじょ)』 「朝聞夕改(ちょうもんせきかい)」・・・「古人は朝に聞けば夕べに改める」朝に道を聞いたなら、気が付いたなら、直ちに改める、今夕から改める。 

「朝聞夕改」の故事・・・中国、西晋・東晋の歴史書「晋書」に記載されている。
周処(しゅうしょ)は変わり者、強力無双、覇気満々、素行改まらず乱暴者、郷里の人間も持て余していた。
ある年、豊作なのに皆しょぼくれているので、周処は故意にしていた古老に訳を聞いた。
古老「わが郷里に三つの災いがある」
周処「いったい何のことだ」
古老「山の向こうに歳を経た白額の大虎がいる。これは疫病神だ。また、川に蛟(みずち)・蛟竜(こうりゅう)がいる。魚は取るし、人を食らう。もう一つはお前じゃ」
周処は「分かった」と言って、そのまま山へ入り大虎を手打ちにし、川に入り蛟竜と格闘してながら川下に流れた。
村人はすべて死んで厄介払いが出来てたと喜んでいたが、周処がひょっこり帰ってきた。
周処は蛟竜を平らげ意気揚々と帰ってきたが、村人はがっかりしているので聞いてみたら、どれほと自分が嫌われておったか、と非常に感じ翻然(ほんぜん)として行いを改めた。
そして、周処は学者の陸雲に会い、しみじみとその話をし「自分も一つこの辺で翻然として、今までの生活を改めて道を学ぼうと思うんだが、考えてみたらもういい歳になってしまった。今さら学問を志してもどうにもなるまいと思うが、何かいい方法はないか」と、相談した。
陸雲「古人は朝に聞けば夕べに改める」。歳など関係ない、君はそれほど朝に道を聞いたんだから、気が付いたんだから、直ちに改めよ、今夕から改めるがよい、と言った。
そして周処は一念発起、発憤して学び、一年にしてひとかどの人物になった。

6. 愛読書を持つ
心を清め、悟りを導いてくれる、品格の高い書物、道の書物、魂の書物、古人の名書、聖賢の書を、一ページでも、短い文章でも手紙でも詩でも語録でも読むことが大切。

「三上(枕上(ちんじょう)・・・寝る前の枕元、馬上(ばじょう)・・・車上、厠上(しじよう)・・・便所)で良書を読む。

人間は変化がないと創造化育から遠ざかる。変化がある所に弾力性・創造性がある。読書だけでなく日常生活・学問・思想が硬化し硬張(こわば)ってはいけない。

7. 多くの良書を読む必要があると同時に、多くの人を知る必要がある。日用心法・片言隻語に人生の生があり、普段の心法によって養うことが大切。

8. 貝原益軒は『養生訓』で、健康に長生きする方法を説いている。
そして、老いる事の意義や価値、その楽しみ、人生の生き方、健全に老いることの大切さを説いている。(「老計」を参照)


「身計」 ・・・ いかにわが身を人間として社会に対処していくか、何をもって世に立つか、いかなる職業・価値観をもって生きていくか。
1. 士規七則』 (吉田松陰)
成徳達材には、師恩友益多きに居る。よって君子は交遊を慎む。

材…才の意味で知能・技能
 
知能・技能に達し、徳を成し、人間を完成させには、師の恩、友の益が多くいる。だから人格者は交遊を慎む。
 
 
2.
 
論語』 「文会輔仁(ほじん)
文を以って友を会す。友を以って仁を輔(たす)く。              

文…文化の文   仁…仁愛よりも深い解釈で、宇宙・人生を通じて万物とともに生成・化育していく徳
 
徳・仁が発していろいろな枝・葉・花となり実となり、鮮やかな成果(文)である文化・教養が生まれ、それをもって友と会する。
 
 
3.
 
論語』 「益者三友、損者三友」
益者三友、損者三友。

直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。

便辟(べんへき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。

直…まこと   諒…もっとも、なるほど、と頷ける真実   多聞…道を聞く、真理を聞く、教えを聞き、心を傾け頷くような教養を多く持っている   便癖…便とは便利・通りがいい、手段的・方便的であまり責任がないこと。辟とは癖、偏ること    便佞…佞とは心無いやつがうまいことを言う。おもねる。  

友を通して益になるものが三ある。友を通して損になる、徳を損じる、人間を損ずるような悪友が三つある。

真実・まことを持つ友、話を聞いても話をしても、聞く相手が言葉に「なるほど」と頷ける真実を持つ友、いろいろと多くの心を傾け頷くような教養を多く持っている友は、益友である。

ちょっと筋道が通っているようだけれども、大筋・本筋でなく安直でどこか偏り、一理あるが癖がある友、芯がない・骨がない・気骨がない・バックボーンがない・調子がよくグニャグニャしている友、人の気に入るように真心を偽って、心にもなく調子を合わせる友は損友である。

 
4.
 
論語』 「比周」
君子は周(しゅう)して比(ひ)せず、小人は比して周せず。

周…公正無私の交際   比…私心をもって偏り親しむ
 
人格者は公正無私で人と交わり、私心をもって偏ることがない。俗人は私心・偏りを持ち、公正無私で人と交わらない。
 
 
5.
 
『広絶交論』 (劉孝標(りゅうこうひょう))  「五つの邪交(よこしまな交際)
「勢交」 ・・・ その時世に勢力のある人間との交際。これらは勢力が移り変わるとどんどん離れて行く。
「賄交」 ・・・ いろいろ賄賂を贈ったり、寄付したり、そういう関係で仲良しになる、交際する。
「談交」 ・・・ 言論・文章のようなものでの交わりで、騒がれているタレント、文壇、評論界、マスコミで流行っている者との交際。
「量交」 ・・・ その時世の勢力の度合いなどを量(はか)って交際する。株の上がりそうなやつや、将来を見越しての交際。
「窮交」 ・・・ 自分の困窮した時に助けてくれるような人との交際を求めること。困窮してどこかに助けてくれる奴はいないか、行けば何とかしてくれると、自分の窮する話しで頼ってくるやつ。
 
6.
 
『学生憲章』 (安岡正篤 (やすおかまさひろ))  
第一章 ・・・ 徳性は人間の本性であり、知能・技能はぞくせいである、習慣は徳性に準ずる。三者相待って人間を大成する。
第二章 ・・・ 学生はその徳性を養い、良習を体し、知識を修め、技芸を磨くを以って本文とする。
第三章 ・・・ 人間は鍛錬陶冶(とうや)によって限りなく発達するが、その本具する諸々の性能は学生時代に成就するものである。古今人類文化に寄与した偉大な発明発見や開悟も、少なからず二十歳代に行われてい。
第四章 ・・・ 学生は人間の青春であり、民族の精華である。その品性・態度・教養・行動はおのずからその民族・国家の前途を標示する。
第五章 ・・・ 学生は自己の学修及び朋友との切磋琢磨を本分とし、出来る限り雑事に拘(かか)わることを自戒せねばならない。
第六章 ・・・ 講説の師は得易いが、人間の師は逢いがたい。真の師を得ては、灑掃の労をも厭(いと)うべきではない。
第七章 ・・・ 国家・民族の運命をけっする重大時機に臨んでは、敢然として身を挺(てい)し、敬慕する先輩知己と共に、救民・革命の大業に参ずる意気と覚悟を持つことは貴い。
 
7.
 
『教師憲章』 (安岡正篤(やすおかまさひろ))
1. 教育は職業的・社会的成功を目的とする手段ではなく、真の人間を造ることを使命とする。
2. 子弟が将来いかなる地位に就いても人から信頼され、いかなる仕事に当たっても容易に習熟する容易のできている人間を造る事が教育の主眼である。
3. 将来を担う子弟が明日の行路をあやまらず、信念と勇気を持って進む為に要するものは、単なる知識・理論や技術ではなくて、人間の歴史的・恒久的な原理であり、典型である。
4. 教師はみだりに人を教えるものではなく、まず自ら善く学ぶものでなくてはならない。
5. 教師は一宗一派の理論や信仰を偏執して、これを子弟に鼓吹してはならない。
6. 教師は学校と教壇をなおざりにして、政治的・社会的活動をしてはならない。
7. 現代が経験している科学・技術・産業に於ける諸革命と相応する理性的・精神的・道義的達成されねば、この文明は救われない。その「革命への参加」は、教師においていかなる階級の奪権闘争でもなくもっと内面的・霊的な創造でなければならない。


「家計」 ・・・ いかに家庭を営み、夫婦関係・親子関係はどうあるべきか、一家をどう維持していくか。
1. 『いろはガルタ』
子供は家庭で育てられ、学校で教えられ、地域社会で磨かれて成長する。しかし、特に問題を持つ子の影に問題の家庭があることが多く、素直な子を見ると自然に家庭の好ましい雰囲気が想像され・・・家庭教育の確立を目指した「家庭教育いろはガルタ」
いつも笑顔で一家団欒 わがままは親の心の弱さから
炉辺談話の主役は子ども 考える子供と共に伸びる親
話は互いによく聞いて よく聞いて、それから静かに説いていく
憎まれっ子ほどよく伸びる 助け合い励まし合うのが親兄弟
褒め言葉が子どもを育てる 冷静に自分の態度を振り返る
隔てをつくるな上と下 側にいるだけで落ち着く子の心
どこの子にもある良いところ 使い方、工夫させてお小遣い
知育の前にまず愛育 寝ていて子を起こすな
理屈を言うよりやってみせ 泣いている子を温かく見守って
糠とクギと思わず、教え繰り返し 楽ばかりさせれば子どもを弱くする
留守番も大事な一つのお勉強 蒸し返す小言は少しも効き目なし

後ろ姿を子どもは見ている 挨拶は家庭の躾の第一歩
のびのびした子どもは良き夫婦から 最後までやり抜く姿勢をを育てよう
親の座崩れて子はぐれる 厳しく教え温かく育てる
工夫して生み出す親と子の時間 譲り合う心の芽生えは家庭から
約束を破る親には子が背く 目が語る千万言の親の愛
回り道する子をじっと待ってやり 認めれば一人ひとりが生きてくる
喧嘩しながら子は育つ 叱らればかりいる子は育たない
双葉の中にある個性 非行児は家庭に対する不信から
声をかけよう隣の子にも もしもしと電話のかけ方躾の一つ
栄養も過ぎて苦しむ肥満体 整理整頓幼児から
できることから励まして するな子の前夫婦の喧嘩
 
2.
 
『父母憲章』 (安岡正篤(やすおかまさひろ))
1. 父母はその子どものおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。
2. 家庭は人間教育の素地である。子供の正しい徳性とよい習慣を養うことが、学校に入る前の大切な問題である。
3. 父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択んで、それに就けることを心掛けなければならない。
4. 父母は随時そ祖宗の祭を行い、子供の永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大切である。
5. 父母は物質的・功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、親戚交友の陰口を慎み、淡々として、専ら平和と勤勉の家風を作らなければならない。
6. 父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発することに努めなければならない。
7. 人世万事、喜怒哀楽の中に存する。父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶(とうや)を重んぜねばならない。
 
3.
 
「敬と恥」
1) 人間と動物とを区別する最も根源的な境界の大事なもの、これを失くせば人間が人間でなくなってしまい、人間が万物の霊長であるという境界をなすものは何か。それは「敬」と「恥」である。愛ではない。
愛は高等動物にも十分に認められる。人間に根本的に大切なものは愛よりも「敬」と「恥」。これを失うと動物並になる。
 
2)
 
「敬」するとは、自ら敬し、人を敬するということ。
人間が生まれたまま自然のままに満足しないで、より高いもの、より大きいもの、偉大なるものに対して生じ、人間が進歩向上の心をもって自ら進歩向上の対象を創造する。創ることに対して、「敬」という心が生じる。
進歩向上する人は必ず偉大な目標に向かって進むが、「敬」することが分からない者は進歩・向上がない。
 
3)
 
「敬」の心を持つと、相対的原理によって自ら省みて必ず「恥ずる」心が湧いてくる。恥ずるから慎む。「敬」は「恥」や「慎み」の心を活かす。
 
4)
 
孟子は、人間が恥じる、恥に耐えないという心を養うことが大切と言っている。
孟子曰く、恥の人に於(お)けるや、大なり。機変(きへん)の功(こう)を為す者は、恥を用うる所なし。人に若(し)かざるを恥じずんば、何ぞ人に若くことか之れあらんや。
 
孟子は言う「羞恥心は人間にとって重大な徳目である。場当たり主義でごまかしと小細工を弄(ろう)する人間は羞恥心がない者である。自分の徳行や能力が人におよばないのを恥ずかしく思わないような人間が、どうして人並みになれようか。」
 
 
5)
 
敬することは、偉大な目標を持つ、進歩向上の目標を持つ事で、これを知ると敬の対象に近づこうとする。できればそれに親しみ一つになろうとする。

そこで敬する、敬(うやま)うということを日本語で「参る」という。神に参る。仏に参る。だんだん普遍化して「父の家に参る」、「何々してまいります」となった。

西洋の「愛する」の言葉の中に敬がない。日本語で愛することを参るという。「俺はあの女に参った」、これは女を愛することより進んで、あの女は偉い、頭が下がるの意味を持っている。男が女に参ったというのが味が深い。結婚も愛しているからと言うぐらいの結婚ではなくて、双方が「参った」の結婚でありたい。

日本語では、勝負をして負けた時に「参った」と言う。これは他国に無い値打ちのある言葉。負けた相手を偉いと認識・感服すること。
 
6)
 
敬すれば参る。参ると側へ近づきたい、親しみたい、側で何でも務めたい。これを侍(はべ)る、侍(じ)すると言う。
参れば侍りたい。側に近づき、共に暮らしたい、すべてを捧げたくなる。それを「祭る」と言う。侍る、祭るとか、日本人は何かと「仕る(つかまつ)る」「奉(たてまつ)る」と、「まつる」と表現する。
 
7)
 
「祭」の文字は、食うものが無い原始人が命を支える大事な肉(月)を、右手で神に自分の命の糧を奉るという意味。「示」は神棚で神をあらわす。
 
8)
 
「侍(はべ)る」に対応する言葉は「侍(さぶら)う」「候(さぶら)ふ」で、こういう敬の道徳に徹して生きようとした階級が「武士」。それで「侍(さむらい)」と言う。
侍とは敬する者に参って、それに侍(はべ)り、侍(さぶら)い奉(たてまつ)ると言うことで、一命を捧げてそれに近侍していくという心・道、それが「武士道」
 
9)
 
子供は本能的に、母に愛・慈愛、父に権威・尊敬・敬慕を本能的に持っている。子供は自ら母を愛の対象とし、父に敬を抱きまた敬を求める。
父自身が子供から「敬」の対象たるにふさわしい存在たることが肝腎。父の存在そのものが子供に本能的に敬意を抱かしめる、本能を満足させる存在でありたい。

父親の帽子や身に付けるものを、子供が被ったりするのは父親のになろうとし、敬の対象に自らなろうとしている事。可愛いいたずらと思うのではなく、「ほら見て御覧なさい。この子はあなたになろうとしているんですよ。しっかりしてくださいよ」と、親が敬の対象となり得て、子に敬の心を育てたい。
 
4.
 
家庭は人間教育の素地。家庭教育から教育が始まる。まず根本的に子供の正しい特性と良い習慣を養うことが、学校へ入る前の大切な問題。父母は子供のために学校に限らず、良き師と良き友を選んでこれに就けることを心掛けることが大切。
 
5.
 
『児童憲章』 (安岡正篤(やすおかまさひろ))
1. 人間進化の機微は胎児に存する。胎児はまず最も慎重に保育されなければならない。
2. 児童は人生の曙である。清く、明るく、健やかなることを尚(たっと)ぶ。
3. 児童に内在する素質、能力は測り知れないものがある。夙(はや)くより啓発と善導を要する。
4. 習慣は肉体となり、本能となる生きた主義理論であり、生活は習慣の作品ある。良い習慣を身に付けること即ち躾は児童のために最も大切である。
5. 言葉と文字は人間文化の血脈である。児童はなるべく早くから、民族の正しい言葉と文字を学ばなければならない。その学習能力を児童は大人よりも純粋鋭敏に本具しているものである。できれば一、二の外国語を修得することも望ましく、またそれは十分可能である。
6. 児童は祖国の歴史伝統に基づくすぐれた文字・芸術や、世界と宇宙の限りない感興に誘(いざな)う諸々の作品の裡(うち)に養われねばならない。
7. いかなる艱難辛苦(かんなんしんく)も補導宜しきを得れば、児童にとって却(かえ)って大成の試金石となるものである。
 
6.
 
「立派な女房」論
ある知事が次官と喧嘩して、辞表を叩きつけて家に帰ってきた。この奥さんは財界の名士の娘だが、夫婦仲は悪く普段から喧嘩ばかりしていた。
その彼が「俺は今日、次官と喧嘩して辞表を叩きつけてきたよ」と言った途端、奥さんは「言わんこっちゃない。だから私は、あんたは偏屈でいかんとしょっちゅう言ってるんだ」とやり返し、「これからどうするんですか?」と言った。
気の短い彼はヒシャと一拳をくらわした。
 
 
大臣経験あり温厚な人が、ある理由で辞表を叩きつけてその座を降りた。
家に帰り「わしは今日辞表をだしてきたよ」と言った。途端に奥さんは「ああ、よかったですね。これでまたお好きな釣りができますねぇ」と言った。彼は感動して「ああ女房は立派な女だ」と思った。・・・これはいい意味の「佞」(仁のある女性)。


「老計」 ・・・ いかに年をとるか。「老」たるものの価値をいかに活かしていくか。
1. 年をとっていく・老いていくということは、老熟していくこと。「老」という字は「なれる」「ねれる」と読む。世間の体験を積んで非常に練達した人を老手と言う。老先生、老練と言う。
江戸前期の伊藤仁斎は「老去佳境に入る」(人生の妙味、学問の妙味などが年をとるほど分かる)と言っている。
 
2.
 
淮南子(えなんじ)』 (遽伯玉(きょはくぎょく)) 「知非」
行年五十にして、四十九の非を知る。六十にして六十化する。
 
五十になってそれまでの四十九が間違っていた、駄目だった。六十になっても六十になっただけ変化、良く変わっていく。
 
 3.  
「茶話」 ・・・ 「茶飲み友達」
茶は味わい深いもの。栽培は難しいが、最初は薬用が、次第に趣味になり、生活必需の飲み物となった。

茶は湯加減が大切で、第一煎で茶に含まれる甘み(カテキン)をよく味わう。

第二煎ではタンニンの渋みが出る。このタンニンの中にカテキン・甘みが含まれていて、甘い味の少し至れるもの進歩したものが渋みで、進んだ味わいの境地。

第三煎で、苦味のカフェインがでる。味の高等なもの。

この順序を誤ってむやみやたらに沸騰湯を通すと、いっぺんに段階を無視した苦い茶になり、滅茶苦茶・芽茶苦茶になる。

甘言・甘い言葉は駄目で、甘言に惑うのは愚昧(ぐまい)。渋い、苦い、苦言を好むようにならないと進歩した人間とは言えない。

甘い、渋い、苦いは化学では偏味と言う。これは至れる味ではない。何とも言われない味が至味、至れる味わい、無の味という。無の味では人が分からないら淡という。これは甘い、渋い、苦いとか超越して何とも言えない至れる味。

「君子の交わりは淡こと水の如し」のように、茶、淡、水、の中に味があり、哲学がある。

本当の茶が飲めるとは、人生の経験を積んで酸いも甘いも噛み分け、茶話が出来るようになれば、人間大したもの。

苦楽を共にし夫婦いい年になって、しみじみ人生の理法・道理を話し合えるというのが「茶飲み友達」。
 4.  
養生訓(貝原益軒)  
貝原益軒(1630~1714)は江戸前期の儒学者。
医学・思想学問・薬学・地理学・歴史学など広い学識を修め、よく老いる事の意義や価値、その楽しみを知っていた。
養生訓は医学専門書だけでなく、人生の生き方、さらには健全に老いることの大切さ、楽しさをやさしく説いている。
84歳他界1年前の著述。
1. 人生五十にいたらざれば、血気いまだに定まらず、知恵いまだに開けず、古今にうとくし、世変になれず。言あやまり多く、行(おこない)悔い多し、人生の理(ことわり)も楽しみもいまだ知らず。

五十にいたらずして死するを夭(わかじに)という。是亦(これまた)、不幸短命と言うべし。長生きすれば、楽(たのしみ)多く益多し。
日々にいまだ知らざることを知り、日々にいまだ能(よく)せざることを能す。この故に学問の長進することも、知識の明達も、長生きせざれば得がたし。

此れを以って養生の術を行い、いかにもして天年をたもち、五十歳をこえ、成るべきほどは弥(いよいよ)長生きして六十以上の寿域に登るべし。
 
2. 人の身は父母を本とし、天地を初めとす。

天地父母のめぐみをうけて生まれ、又、養われたる我が身なれば、わが私の物にあらず。

天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養いて、そこないやぶらず、天年を長くたもつべし。
 
3. 短命なるは生まれ付きて短きにはあらず。

十人に九人は皆みずから損なえるなり。ここを以って、人皆養生の術なくんばあるべからず。
 
4. 養生の術は、
(まず)心気を養うべし。心を(やわらか)にし、気を平らかにし、怒りと欲とを抑え、憂い思いをすくなくし、心を苦しめず、気をそこなわず、是れ心気を養う要導なり。

また、臥(ふ)す事を好むべからず。久しく眠り臥せば、気滞(とどこお)りてめぐらず。飯食いまだ、消化せざるに、早く臥しねぶれば、食気ふさがりて甚(はなは)だ元気をそこなう。いましむべし。

酒は微酔にのみ、半酣(はんかん)をかぎりとすべし。食は半飽(はんほう)に食いて、十分に満つべからず。酒食ともに限りを定めて、節に越ゆべからず。

また、若き時より色慾を慎み、精気を惜しむべし。精気を多くついやせば、下部の気弱くなり、元気の根本たえて必ず命短し。もし、飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補をなすとも、益なかるべし。

また、風・寒・暑・湿の外邪をおそれふせぎ、起居動静(どうじょう)を節にし、つつしみ、食後には歩行して身を動かし、時々導引(どういん)して腰腹をなですり、手足を動かし、労働して血気をめぐらし、飲食を消化せしむべし。・・・

病発(おこ)りて後、薬を用い、鍼灸を以って病をせむるは養生の末なり。本(もと)をつとむべし。
  
5. 養生の術は、
安閑無事なるを専らとせず、心を静かにし、身を動かすをよしとす。身を安閑にするは、かえって元気滞り、ふさがりて病を生ず。

例えば、流水は腐らず。戸枢(こすう)は朽ちざるが如し。是うごく者は長久なり。動かざる物はかえって命短し。安逸なるべからず。是すなわち養生の術なり。
 
6.
 
人の元気はもと是れ天地の万物を生ずる気なり、是れ人身の根本なり。人、此の気にあらざれば生ぜず。

生じて後は飲食衣服居処の外物の助けによりて、元気養われて命を保つ。飲食衣服居処の類(たぐい)も亦(また)天地の生ずる所なり。
生るるも養わるるも皆天地父母の恩なり。
人の楽しむべき事、三あり。

一には身に道を行い、非が事なくして善を楽しむにあり。
二には、身に病なくして、快く楽しむにあり。
三は命長くして、久しく楽しむにあり。

富貴にしてもこの三の楽なければ、真(まこと)の楽なし。故に富貴は此の三楽の内にあらず。もし、心に善を楽しまず、養生の道を知らずして、身に病多く其のはてに短命なる人は此の三楽を得ず。
 7.  
摂政の七養あり。 『寿親養老補遺(じゅしんようろうほい)(劉純(りゅうじゅん))
一には言を少なくし内気を養う。

二には色慾を戒めて精気を養う。

三には滋味を薄くして血気を養う。

四には律液(しんえき・・・つばき)を飲んで臓気を養う。

五には怒を抑えて肝気を養う。

六には飲食を節して胃気を養う。

七には思慮を少なくして心気を養う。


「死計」 ・・・ いかに死すべきか。
1. 刀折れて矢尽きて死ぬのは情けない死に方であり、もっと立派な死に方を考えなければならない。
 
2.
 
いかに死すべきかは、いかに生きるべきかと同じで、死ぬことは人の性霊が「限定された生」から「無限定の生」に遷ること。
 3.  
言志録』 (佐藤一斎) 
生物は皆死を畏(おそ)る。
人は其の霊なり。
(まさ)に死を畏るるの中(うち)より、死を畏れざるの理(ことわり)を揀(えら)び出すべし。

(わ)れ思う、わが身は天物なり。
生死の権は天に在り。当に順(したが)いて之(これ)を受くべし。

我れの生まるるや自然にして生まる。生まるる時未だ嘗(かつ)て喜ぶを知らざるなり。
(すなわ)ち我れの死するや、応(まさ)に亦(また)自然にして死し、死する時未だ嘗(かつ)て悲しむを知らざるべきなり。

天之を生じて、天之を死せしむ。一に天に聴(まか)すのみ。吾れ何ぞ畏(おそ)れむ。
吾が性は即ち天なり。(くかく)は即ち天を蔵するの室(しつ)なり。

精気の物と為るや、天此れの室に寓せしめ遊魂(ゆうこん)の変を為すや、天此(こ)の室より離れしむ。

死の後(のち)は即ち生の前、生の前は即ち死の後にして、而(しか)して吾が性の性たる所以(ゆえん)の者は、恒(つね)に生死の外(ほか)に在り。吾れなんぞ焉(これ)を畏(おそ)れむ。

(そ)れ昼夜は一理、霊明も一理、始めを原(たず)ねて終に反(かえ)り、死生の説を知る。何ぞ其の易簡(いかん)にして明白なるや。吾人(ごじん)(まさ)に此の理を以って自省すべし。
 
生物はみんな死を畏れる。
人間は万物の霊長である。
死を畏れる中から、死を畏れない理由を選び出し安住すべきである。

吾れ思う、自分の体は天からの授かりものである。
死ぬとか生まれるといった権利はもともと天にある。逆らわずに畏れもせずに、従順に天命を受けるのは当然のことである。

われわれが生まれるのは、ごく自然であって生まれたときは喜びなんか知らない。
われわれが死ぬのもまた自然であって、死ぬ時は悲しみをしらない。

天がわれわれ人間を生み、そして死なすのであるから、死生は天にすっかり任せるべきで、別に何にも畏れることはない。
わが性命は天から与えられた物、すなわち天物で、その肉体はその性命はをしまっておくいわば室である。

精気が一つの固まったものとなると、天から与えられた性命は、この肉体という室に仮住まいするけれど、魂が肉体から遊離すると天物はこの室から離れていく。

死ぬと生れ、生まれると死ぬものであって、性命の性命たるゆえんのものは、いつも死生を超越しているから、われわれは死に対する恐怖はまったくない。

昼夜が一つの道理であるように、死ぬのも生きるのもまた一つの道理である。物の始めをたずねれば必ず終りがある。死生の理は明明白白である。われわれはこの道理をもって自ら反省すべきである。
 
 
4.
 
賢人は死を天から定まった命として、生者必滅(しょうじゃひつめつ)の道理を悟って死ぬことをあまんじる。死を畏れることを恥として、安心して死ぬことを望む。一般の人は死に対して畏れの念を抱いている。
 
5.
 
血気に勇み立って死を軽視したり、惑うものが死に満足するのは、天を知らぬもので、死を畏れる者より劣っている。
 
6.
 
「死計」は即「生計」。始めの「生計」はもっぱら生理的な「生計」で、「老計」を通ってきた「死計」は精神的なで霊的な生き方。不朽不滅、永遠に生きる計りごとで、生とか死とか超越した死に方、生き方、これが「死計」。

 

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「小学」に触れる

1 序文       「小学」目次 

(いにしえ)は小学、人を教うるに、灑掃(さいそう)・応対・進退の節、親を愛し長を敬し師を尊び友に親しむの道を以ってす。
皆、修身・斉家・治国・平天下の本(もと)たる所以(ゆえん)にして、而して必ず其れをして講じて、之を幼児の時に習わしめ、其の習(ならい)、知と与(とも)に長じ、化(か)、心と与に成って而して扞格(かんかく)勝(た)えざるの患(うれい)無からんことを欲するなり。・・・
『朱子』
  灑掃(さいそう)…拭き掃除  扞格(かんかく)…矛盾・衝突
  • 拭き掃除、応対、進退のしめくくり、また親を愛し、長を敬し、師を尊び、友に親しむの道は、みな修身・斉家・治国・平天下の本である。
  • これらは幼児の時に習わせる事が大切。
  • 人間は絶えざる練磨によって矛盾・衝突が無くなり、だんだん本能的・直観的・無意識的になる。意識や知性では知ることの出来ない真実の世界・生命の世界が開けてくる。
  • 物事は時間をかけての習熟が必要。体の動作・活動でも修練を加えて、初めて体系的・統一的活動ができる。



2-1 三不祥       「小学」目次

荀子曰く、人に三不祥あり、幼にして而(しか)も肯(あえ)て長に事(つか)えず。賤(せん)にして而も肯て貴(き)に事えず。不肖にして肯て賢に事えず。是れ人の三不祥なり。
『荀子』
  • この三不祥とも、現実に留まり、無限の進歩向上を欲する精神的機能が発していない。
  • 現実に甘んじて、より高きものより貴きものを求めていく心がない。

・「幼くして長に事(つか)えない」事は、幼くして「敬する」ことを知らないこと。「敬」は東洋・西洋哲学で説く一つの基本。
・「愛」は獣でも知り行うことができる。人間が進化してきた一つの原動力は愛と同時に敬する心を持つようになった事。
・現状に満足しない、無限の進歩向上を欲する精神的機能が発して敬の心となる。より高きもの、より貴きものを求めていく心が敬。
・敬の心を持つと、相対的原理によって自ら省みて必ず「恥ずる」心が湧いてくる。恥ずるから慎む。敬は恥や慎みの心を活かす体液。
・愛だけでは「人」とはならない。幼児は物心付くと敬の対象を求める。
・両親がそろっている時は母を愛の対象として、父を敬の対象とし、愛されると同時に敬する。
・しかも幼児も敬されることを欲する。叱りも必要だが「お前は偉い」の価値を否定してはいけない。



2-2 三不幸       「小学」目次

伊川先生言う、人、三不幸あり。少年にして高科に登る、一不幸なり。父兄の勢い席(よ)って美官となる、二不幸なり。高才あって文章を能(よ)くす、三不幸なり。
『伊川文集』
  文章を能(よ)くす…文は飾る、表す。弁が立つ、文才があったり表現が上手
  • 若年にしてどんどん上へあがる。親のお陰で若輩が上級職になる。すぐれた才能があって文章を能くす。

・人でも動物でも植物でも長い間の年期をかけた修練・習熟が要る。インスタントでは成り立たない。
・ 特に幼少時代はできるだけ本人自身の内的部分に充実・大成に力を注ぶべき。
・ 「習、知と与に長じ、化、心と与に成って而して扞格勝えざるの患無からんことを欲する・・・」物事は時間をかけての習熟が必要。体の動作・活動でも修練を加えて、初めて体系的・統一的活動ができる、とある。



2-3 後生(こうせい)の才性       「小学」目次

前輩(せんぱい)(かつ)て説く、後世(こうせい)才性人に過ぐる物は畏(おそ)るるに足(た)らず。惟(た)だ読書 尋思(じんし)推究する者畏るべしと為すのみ。
又云う、読書は只だ尋思を怕(おそ)る。蓋(けだ)し義理の精深は惟だ尋思し、意を用いて以て之を得べしと為す。鹵莽(ろぼう)にして煩(はん)を厭(いと)う者は決して成ること有るの理無し。
『呂氏童蒙訓』
  説く…言うと同じ  尋思…たずね考える  伯る…肝腎
  鹵莽…穴だらけ・節だらけ、整理整頓が出来ていない  
  煩…わずらわしい  厭う…嫌う・いやになる
  • かつて先輩が言った、「後生のうちいろいろの才能のある者は決して畏るに足らぬ」と。
  • 読書は尋思が肝腎である。
  • 義理の精深は大いに心をうごかして初めて遂げることが出来る。
  • 乱雑・雑駁(ざっぱく)で手間ひまかかる事を嫌がる者は決して成ることはなるものではない。

・「義」とは、如何になすべきか、という実践的判断理」的判断。
・「理」とは、その意味・法則。
・人の内面の一番の本質をなすものは徳性で、いろいろの知能・技能はその属性。
・これは天然に具わっているので、性を付けて才性という。こういう付属的な才能は畏るに足らない。



2-4 賢(けん)を賢(たっと)び       「小学」目次

子夏曰く、賢(けん)を賢(たっと)びて色を易(かろん)じ、父母に事(つか)えて能(よ)く其の力を竭(つく)し 、君に事えて能く其の見を致し、朋友と交わり、言いて信あらば、未だ学ばずと曰いと雖(いえど)も、吾は必ず之を学びたりと謂うわん。
『論語』
  色…性欲だけでなくあらゆる物欲の対象  
  • 賢を貴んで物欲など問題にしない。
  • 父母に仕えてよくその力をつくす。
  • 君に仕えてよくその身を捧げ。
  • よく友達と交わり、言う言葉に信がある。
  • こういう人は未だ学ばずと雖も本当に学んだ人と言うべきである。



 

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「大学・小学」に触れる

小生には難解であるが修自己チャレンジ精神で掲載を試みることとする。

 

1.「大学(だいがく)」とは
 1)大学の要領は自己を修め、人を治める。
  学問をもって己の徳を明らかにし、これを社会国家に明らかにする学問、中国先哲の書籍。 

 2)大学は「礼記(らいき)」の一篇を司馬温公が抜き出し「大学広義」とした。
  程明動・程伊川兄弟が「論語」「孟子」「中庸」と併せて推奨した。
  朱子が秩序だて組織だて改変し四書の一つとして世に広めた。
  紀元前430年頃書かれた。

 3)大人(だいじん)の学、学校制度の最高機関、自己を修め人を治める学問・哲学。

 4)銅像の二宮金次郎が薪を背負って読んでいる本が「大学」。

 5)「大学」の要旨…三綱領と八条目と注釈から成り立っている。
  (1)三綱領
   ①明徳を明らかにする…はるか先代から潜在し持っている徳・能力を発揮する。
   ②民に親しむ…自己を新たにし民に親しむ。
   ③至善にいたる…絶対的な善に到達する。

  (2)八条目
   ①格物 ②到知…知を到(きわ)むるは法を格(ただ)す。法則・真理を正しく把握する。
   ③誠意…意を誠にする。
   ④正心…心を正す。
   ⑤修身…身を修める。
   ⑥斉家…家を斉える。
   ⑦治国…国を治める。
   ⑧平天下…天下を治める。

       これを図に示すと

Daigakutaikeizu

 

1.「小学(しょうがく)」とは  →「小学」目次
 1)初級の学校、いろいろな知識や学問の根底をなす文字・文章に関する学問、日常実践の学問。

 2)朱子が儒学者や偉大な先覚者たちの範となるものを拾い、2編・274四条目にまとめた。
  紀元前430年頃書かれた。

 3)まず、小学を読み自己を修めた上で、大学を読むべきと言われている。

 4)表向きは朱子の編著となっているが、弟子の劉子澄(りゅうしとう)が編纂したと言われる。

 

 

 

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