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京都一乗寺 散策

京阪電車

Keihan

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京都本線「出町柳駅」へ。

 
 
もだん焼きフジ

Fuji

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京阪「出町柳駅」から百万遍・京都大学方面へ。
道路の左手に店。

メニューは100を超える。

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「ミックスモダン」。
お好み焼き・そば・卵の上にハム・各種肉・タコ・イカ・・とにかく色々な具材いっぱい。

「餃子モダン」
餃子・マヨネーズが乗る。
  
 
叡山電車 一乗寺駅

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叡山電車に乗り換え、「出町柳駅」から「一乗寺駅」へ。









一乗寺駅改札口に案内板あり。








「一乗寺下り松」、 「八大神社」、 「圓光寺」、「詩仙堂」は一乗寺駅」から曼殊院道(まんしゅいんみち)を東へ。

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一乗寺下り松

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白川通の交差点を過ぎ、さらに東進すると『宮本 吉岡 決闘之地』の碑と『一乗寺下り松』が見える。

『近江から比叡山を経て京に通じる・・交通の要衡・・旅人の目印として植え継がれ、現在の松は四代目・・・
・・この地で宮本武蔵が吉岡一門数十名と決闘を行った伝説が有名で、東に約300mの所にある八大神社の境内に、決闘を見下ろしたという初代の松の古株が保存されている。・・・
・・「一乗寺」は平安末期から中世にかけて、この辺りにあった天台宗の寺が地名になった・・』とのこと。




さらに坂道を登り東進すると、「圓光寺」・「詩仙堂」など。標識あり。

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「一乗寺下り松」の前の八大神社鳥居。

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鳥居を東へ。坂道を登っていく。
 
 
詩仙堂

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詩仙堂

英国チャールズ皇太子と元ダイアナ妃が1986年5月を訪れた。

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入園料\500。

紅葉の名所。
 
 
圓光寺

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入園料\500。

紅葉の名所。庭園が京阪電車の紅葉ポスターになっている。
 
 
八大神社

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神社前の鳥居。

御祭神は「スサノオノミコト」、「イナダヒメノミコト」、「八王子命」・・とのこと。

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境内に入ると掲示板にポスターが見える。
・「宮本武蔵 一乗寺の決斗」
・「野望燃える一乗寺下り松 眼下の敵七十三人!  武蔵、生死一路に起つ」

武蔵役は「中村錦之助」。

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本殿と社務所。

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本殿横に奉られている初代の下り松。

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武蔵21歳の時、八大神社の境内であった下り松の下で吉岡一門と決闘を行っている。

決闘から約400年が経ち、平成14年秋に決闘に挑む武蔵 のブロンズ像が本殿横に設置された。

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明治初期の「下り松」のスケッチ。

この下り松で宮本武蔵が吉岡一門数十名と決闘を行った。




 
 
宮本武蔵
 
 
吉川英治

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Yoshikawa


遺文「独行道」に「我、神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」などが書き記されている。



小説「宮本武蔵」は吉川英治
吉川英治「随筆 宮本武蔵」(講談社) 遺跡紀行 より引用・抜粋
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武蔵が一乗寺下り松に立って多数の敵にまみえた日のまだ朝も暗いうちに、彼は死を期したこの危地へ来る途中で、八大神社の前で足を止めて、「勝たせたまえ。きょうこそは武蔵が一生の大事。」と彼は社頭を見かけて祈ろうとした。
拝殿の鰐口へまで手を触れかけたが、そのとき彼のどん底からむくむくわいた彼の本質が、その気持ちを一蹴して、鰐口の鈴を振らずに、また祈りもせずに、そのまま下り松の決戦の場へ駆け向ったという。
武蔵が自分の壁書としていた独行道のうちに、「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」 と書いているその信念は、その折ふと心にひらめいた彼の悟道だったにちがいない。
武蔵にこの開悟を与えたことに依って、一乗寺下り松の果し合いはただの意趣喧嘩とはちがう一つの意味を持ったものと僕はそう解釈する。
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「・・・吉川英治は小説「宮本武蔵」で重要な役割を演じている沢庵和尚を描写するのに、安岡正篤をモデルとしている・・・」
(神渡良平「安岡正篤 人生を拓く」から)
 
 
安岡正篤

Yasuoka


終戦の詔勅の中の一句「・・万世のために太平を開く・・」は、北宋の大儒、張横渠(ちょう おうきょ)の名言から安岡正篤が推挙した。
  天地の為に心を立つ
  生民の為に命を立つ
  往聖の為に絶学を継ぐ
  万世のために太平を開く

「・・・現元号「平成」は、安岡が昭和の終わりに、次の時代の年号として「内平(たいら)かにして、初めて外成る」から取り、「平成」を推挙・・・」
(神渡良平「安岡正篤 人生を拓く」から)


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