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備前焼 2

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陶磁器の歴史と備前焼

Jomondoki縄文式土器 (縄文時代)

  • 長崎県佐世保市の泉福寺の洞穴から10,800年前と測定される最古の土器が出土。
  • 縄文式土器は土器発祥以来を縄文時代といわれる。

Yayoidoki弥生式土器 (弥生時代)

  • 縄文式土器との大きな違いは左右均等のとれた統一感の造形などの作風といわれる。
  • 出土した東京大学構内の弥生町の町名にちなんで弥生式土器と名付けられた。 

Hajiki土師器(はじき) Sueki須恵器  (古墳・飛鳥奈良・平安時代)

  • 5世紀に朝鮮半島の新羅(しらぎ>・百済(くだら)を経て日本に入って来た。
  • 土師器(はじき)・須恵器は素焼き。
  • 弥生時代に続く古墳時代の出土土器を時代区分の問題から土師器と名付けられた。 (土師部 工人集団に率いられた土師部が造る土器)
  • 古墳時代の前半まで、素焼きが造られていたが、朝鮮半島から窯とロクロが伝わり技術は大きく変化。
  • 土師器は屋外で焼かれていたため温度が500~900℃までしか上がらず、赤みを帯びた軟らかい土器。
  • 須恵器は半地上式の穴窯で、1100~1200℃の高温で焼かれた。
  • 首長や実力者に限られていた古墳が、6世紀初古墳時代後期には大世帯の長と家族を葬る墳墓が無数に造られ、古墳の全国的な普及と拡散が起こり、土師器・須恵器の工人集団も全国に拡散して行った。
  • 岡山県瀬戸内市邑久町一帯の寒風古窯を母胎とした生産地の須恵器が備前焼の源流。

Bizen_2 備前焼

(平安時代末期)

  • 平安末期までは須恵器共存時代で還元炎焼成のため灰色の肌あいが多い
  • 備前焼は、わが国の六古窯(瀬戸常滑越前信楽丹波、備前)の中でも最も古く、この時代から備前焼の特徴が生まれた。

(鎌倉時代)

  • 岡山県赤磐市熊山町に窯が築かれ完全な酸化焼成によって濃褐色によく焼き締まった備前焼が誕生。主に壷(つぼ)、甕(かめ)、擂鉢(すりばち)。 

(室町時代)

  • 室町中期戦乱のため質が低下。
  • 足利8代将軍足利義政の頃、村田珠光は茶道を開祖。侘び寂びを重んじる四畳半の草庵の茶を始め、茶道具も 従来の唐物から侘びた道具へと姿を変えていき、備前焼も茶道具の中に取り入れられいった。
  • 田土の使用、ろくろ一本挽き成型法が採用。

(桃山時代)

  • 日本各地で独自の陶器が作られ発達した。
  • 釉薬を用いない焼き締めの侘び寂びをふまえた焼き物は、茶の湯の流行と共に愛用され茶器の名品が多く焼かれた。

(江戸時代)

  • 日本の焼き物全体が多彩的になり技術的に確立した。ドイツのマイセンは、この時代の有田焼きを中心に取り入れ、洋食器として発達した。
  • 備前藩主・池田光政公は備前焼を保護奨励し細工御用人を取り立てた。
  • 江戸末期には信楽焼や丹波焼の擂り鉢に押されたり、京都や堺などで備前焼の模倣がなされていた事が窯跡発掘で判明した。この頃の苦境時代には釉薬を使用して彩色した彩色備前、白土に白釉をかけた 白備前、絵備前などが作られた。
  • 技術・良質・安価・丈夫・歩留・・・の良くない窯はしだいに淘汰され、六古窯が残った。

(明治・大正・昭和・平成)

  • 明治時代には、瀬戸などの実用雑器の大量生産におされ、衰退の一途をたどる。
  • 「中興の祖」金重陶陽 (昭和31年に人間国宝に認定)によって備前焼が再評価され、今日の備前の繁栄を得た。
  • その後、多くの人間国宝も認定され、現在では400人以上の作家が備前地区周辺で活躍。
  • 毎年10月第三日曜日と前土曜日に備前市伊部地区一帯で「備前焼祭り」が開催されている。

 

<手捻り作品>

ビアグラス       ワイン冷酒グラス          花器 

Beercup    Winecup1Winecup3     Kaki4Kaki5Kaki6

 

抹茶茶碗    片口 酒器    小物入れ    置物・香炉

Macha    Shoyosake    Shirakawa2     Sanju

 

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